アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
待降節の有名なグレゴリオ聖歌、ロラテ・チェリをご紹介します。
ラテン語と日本語との対訳は次にあります。RORATE CAELI 対訳
Rorate Cæli desuper, et nubes pluant justum.
ここで繰り返される、「Rorate caeli desuper, et nubes pluant justum.」という言葉は、イザヤの45:8から来ています。
"Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant justum ;
aperiátur terra, et gérminet Salvatórem, et justítia oriátur simul : ego Dóminus creávi eum.
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを、主なる私がそれを創った。」
「露」は、新鮮ですがすがしく、昼の熱を感じさせないところから、肉欲の炎の無い童貞女の懐妊が暗示されています。
「雲」は、旧約では天主の現存と天主の聖寵のシンボルです。御托身の時には、聖霊が雲のように聖母マリアを覆った。聖ルカはこう記しています。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの影があなたを覆うのです。」
生きる水を与えるキリスト、義人なるキリストが、人類未踏の大地なる聖母マリアから生まれるのです。キリストは同時に正義の太陽です。
天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
イザヤの預言の有名な40章は、こう始まります。キリストの到来を待望していた旧約の人々は、この預言を黙想していました。
Consolámini, consolámini, pópule meus,
dicit Deus vester.
2 Loquímini ad cor Jerúsalem,
et advocáte eam,
quóniam compléta est malítia ejus,
dimíssa est iníquitas illíus :
suscépit de manu Dómini duplícia
pro ómnibus peccátis suis.
「慰められよ、慰められよ、私の民よ」と
あなたたちの主は言われる。
「エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
そして、次にこうあります。
3 Vox clamántis in desérto :
Paráte viam Dómini,
rectas fácite in solitúdine sémitas Dei nostri.
4 Omnis vallis exaltábitur,
et omnis mons et collis humiliábitur,
et erunt prava in dirécta,
et áspera in vias planas :
5 et revelábitur glória Dómini,
et vidébit omnis caro páriter
quod os Dómini locútum est.
砂漠に叫ぶものの声
「主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
等しく主の口が語ったことを見るだろう。」
6 Vox dicéntis : Clama.
Et dixi : Quid clamábo ?
Omnis caro fœnum,
et omnis glória ejus quasi flos agri.
7 Exsiccátum est fœnum, et cécidit flos,
quia spíritus Dómini sufflávit in eo.
Vere fœnum est pópulus :
8 exsiccátum est fœnum, et cécidit flos ;
verbum autem Dómini nostri manet in ætérnum.
9 Super montem excélsum ascénde,
tu qui evangelízas Sion ;
exálta in fortitúdine vocem tuam,
qui evangelízas Jerúsalem :
exálta, noli timére.
Dic civitátibus Juda :
Ecce Deus vester :
言うものの声「叫べ」
私は言った。「何を叫ぼう?」
全ての肉は草、全ての肉の栄光は畑の花のようだ。
草は枯れた、花は萎れた、何故なら主の息吹がそれに吹きかかったからだ。
民は実に草である。
草は枯れた、花は萎れた、
しかし私たちの主の御言葉は永遠に留まる。
高い山の上に上れ、シオンに良い便りをもたらすあなたよ、
力強さにおいてあなたの声を上げよ、エルサレムに良い便りをもたらすものよ、
声を上げよ、恐れるな、ユダの町々に言え、
あなたたちの天主を見よ、と。
平らにならされた道を通って伝令が来ます。伝令は王の到来を告げます。
王ご自身が、天主ご自身が来られる、と。
10 ecce Dóminus Deus in fortitúdine véniet,
et bráchium ejus dominábitur :
ecce merces ejus cum eo,
et opus illíus coram illo.
11 Sicut pastor gregem suum pascet,
in bráchio suo congregábit agnos,
et in sinu suo levábit ;
fœtas ipse portábit.
見よ、天主なる主は力において来たり給うだろう、
その腕は支配するだろう、
見よ、天主とともにその報いがある、
主の御業は主の御前にある。
主は、牧者のように、群れを養い給うだろう、
その腕において子羊たちを集めるだろう、
その懐において主は高めるだろう、
主ご自身が母羊を抱き運ぶだろう。
「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」
旧約の義人たちはこの言葉を黙想していたのです。それがロラテ・チェリの歌にも現れています。
そこで、ルカの言葉が光り輝くのです。
ティベリオ・チェザル在位の第十五年目、
ポンツィオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤ分国王、
その兄弟フィリッポがイトゥラヤとトラコニティス分国王、
リザニアがアビレネ分国王、
アンナとカヤファが大司祭だったとき、
荒れ野で、ザカリアの子ヨハネの上に、
天主のみことばがくだった。
そこでヨハネは、ヨルダンの全地方に行き、
罪のゆるしのためのくいあらための洗礼を教えた。
それは、預言者イザヤのことばの書に、
「"主の道を準備し、その小道を正しくせよ。
すべての谷はうめられ、山と丘とはみなならされ、
曲りくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、
人はみな天主の救いを見るであろう"と荒れ野に叫ぶ声がする」
と書かれているとおりである。
「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
天主様の祝福が豊かにありますように!
愛する兄弟姉妹の皆様、
待降節の有名なグレゴリオ聖歌、ロラテ・チェリをご紹介します。
ラテン語と日本語との対訳は次にあります。RORATE CAELI 対訳
Rorate Cæli desuper, et nubes pluant justum.
ここで繰り返される、「Rorate caeli desuper, et nubes pluant justum.」という言葉は、イザヤの45:8から来ています。
"Roráte, cæli, désuper, et nubes pluant justum ;
aperiátur terra, et gérminet Salvatórem, et justítia oriátur simul : ego Dóminus creávi eum.
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを、主なる私がそれを創った。」
「露」は、新鮮ですがすがしく、昼の熱を感じさせないところから、肉欲の炎の無い童貞女の懐妊が暗示されています。
「雲」は、旧約では天主の現存と天主の聖寵のシンボルです。御托身の時には、聖霊が雲のように聖母マリアを覆った。聖ルカはこう記しています。「聖霊があなたにくだり、いと高きものの影があなたを覆うのです。」
生きる水を与えるキリスト、義人なるキリストが、人類未踏の大地なる聖母マリアから生まれるのです。キリストは同時に正義の太陽です。
天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。
イザヤの預言の有名な40章は、こう始まります。キリストの到来を待望していた旧約の人々は、この預言を黙想していました。
Consolámini, consolámini, pópule meus,
dicit Deus vester.
2 Loquímini ad cor Jerúsalem,
et advocáte eam,
quóniam compléta est malítia ejus,
dimíssa est iníquitas illíus :
suscépit de manu Dómini duplícia
pro ómnibus peccátis suis.
「慰められよ、慰められよ、私の民よ」と
あなたたちの主は言われる。
「エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
そして、次にこうあります。
3 Vox clamántis in desérto :
Paráte viam Dómini,
rectas fácite in solitúdine sémitas Dei nostri.
4 Omnis vallis exaltábitur,
et omnis mons et collis humiliábitur,
et erunt prava in dirécta,
et áspera in vias planas :
5 et revelábitur glória Dómini,
et vidébit omnis caro páriter
quod os Dómini locútum est.
砂漠に叫ぶものの声
「主の道を整えよ、私たちの天主の小道を荒れ野で真っ直ぐにせよ。
全ての谷は高くなり、全ての山と丘は低くされる、
凹凸の地は平らになり、道の険しいところは平野となる。
そして主の栄光が見られるだろう、そして全ての人間は
等しく主の口が語ったことを見るだろう。」
6 Vox dicéntis : Clama.
Et dixi : Quid clamábo ?
Omnis caro fœnum,
et omnis glória ejus quasi flos agri.
7 Exsiccátum est fœnum, et cécidit flos,
quia spíritus Dómini sufflávit in eo.
Vere fœnum est pópulus :
8 exsiccátum est fœnum, et cécidit flos ;
verbum autem Dómini nostri manet in ætérnum.
9 Super montem excélsum ascénde,
tu qui evangelízas Sion ;
exálta in fortitúdine vocem tuam,
qui evangelízas Jerúsalem :
exálta, noli timére.
Dic civitátibus Juda :
Ecce Deus vester :
言うものの声「叫べ」
私は言った。「何を叫ぼう?」
全ての肉は草、全ての肉の栄光は畑の花のようだ。
草は枯れた、花は萎れた、何故なら主の息吹がそれに吹きかかったからだ。
民は実に草である。
草は枯れた、花は萎れた、
しかし私たちの主の御言葉は永遠に留まる。
高い山の上に上れ、シオンに良い便りをもたらすあなたよ、
力強さにおいてあなたの声を上げよ、エルサレムに良い便りをもたらすものよ、
声を上げよ、恐れるな、ユダの町々に言え、
あなたたちの天主を見よ、と。
平らにならされた道を通って伝令が来ます。伝令は王の到来を告げます。
王ご自身が、天主ご自身が来られる、と。
10 ecce Dóminus Deus in fortitúdine véniet,
et bráchium ejus dominábitur :
ecce merces ejus cum eo,
et opus illíus coram illo.
11 Sicut pastor gregem suum pascet,
in bráchio suo congregábit agnos,
et in sinu suo levábit ;
fœtas ipse portábit.
見よ、天主なる主は力において来たり給うだろう、
その腕は支配するだろう、
見よ、天主とともにその報いがある、
主の御業は主の御前にある。
主は、牧者のように、群れを養い給うだろう、
その腕において子羊たちを集めるだろう、
その懐において主は高めるだろう、
主ご自身が母羊を抱き運ぶだろう。
「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」
旧約の義人たちはこの言葉を黙想していたのです。それがロラテ・チェリの歌にも現れています。
そこで、ルカの言葉が光り輝くのです。
ティベリオ・チェザル在位の第十五年目、
ポンツィオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤ分国王、
その兄弟フィリッポがイトゥラヤとトラコニティス分国王、
リザニアがアビレネ分国王、
アンナとカヤファが大司祭だったとき、
荒れ野で、ザカリアの子ヨハネの上に、
天主のみことばがくだった。
そこでヨハネは、ヨルダンの全地方に行き、
罪のゆるしのためのくいあらための洗礼を教えた。
それは、預言者イザヤのことばの書に、
「"主の道を準備し、その小道を正しくせよ。
すべての谷はうめられ、山と丘とはみなならされ、
曲りくねった道はまっすぐに、でこぼこ道は平らにされ、
人はみな天主の救いを見るであろう"と荒れ野に叫ぶ声がする」
と書かれているとおりである。
「慰められよ、慰められよ、私の民よ、
エルサレムの心にこう言え、エルサレムの弁護をせよ、
何故なら、その苦しみは終わったからだ、その邪悪は赦されたからだ、
エルサレムはその全ての罪のために主の手から二重の罰を受けおえた。」
「天よ、露を滴らせ、雲よ、義人を降らせよ。地よ開きて救い主を生えさせよ、同時に正義が昇らんことを。」
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
天主様の祝福が豊かにありますように!