Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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天主様に感謝

2009年12月20日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 待降節第四主日です。今月はミサ聖祭参加は、大阪の土曜日に19名(20名?)、東京で35名の愛する兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサ聖祭の恵みに与りました。懐かしいお友達もいらして大変幸福でした。今回は、健康状態のためにミサ聖祭に与れない愛する兄弟姉妹の皆様も数名おられました。お大事にお願いいたします!!

 また、約2年の要理の勉強を終えて、ヨゼフさんが受洗の恵みを受けられました。天主様に感謝いたします!!

 ところで、伊東半島では地震が17日から続いています。富士山に何もないことを祈ります。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 (SSPX) 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 15.1.3.知的独裁を粉砕して

2009年12月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
第15章 レジスタンス憲章(1965-69年)
I. イデオロギー的抑圧との戦い


知的独裁を粉砕して
 公会議はまだ閉会していなかったが、新近代主義派は、教会の司法制度や行政、さらにマスメディアを支配していた。1965年の5月、年の終わりにまでに、「公会議の決定に反発して、独立心の強い一部のグループが離教」を引き起こし、信教の自由と概要XIIIの発布後に「彼らの混乱は増すだろう」と彼らは既に断言していた。

 イティネレール誌上で、カルメル(Calmel)神父は、支配的な進歩主義諸勢力の過激で陰険なものに成りつつあった、“社会学的追放”の実践を非難した。彼らは人々を完全に排除するために、離教と呼んでいたのである。しかしながら、フランス(そしてその他の場所)におけるカトリック・レジスタンスの“指導的人物”の誰一人としてこの公会議の決定に疑問視する些細な意図も現さなかった。ルフェーブル大司教も、その解説の中に、ジャン・マディランのような著名な信徒もイティネレール誌に、ジャン・ウセー(Jean Ousset)氏もヴェルブ(Verb) 誌に、またマルセル・クレマン(Marcel Clément)氏も、ロム・ヌーヴォー(L’Homme Nouveau)誌の中に、その疑問を現さなかった。

 ジャン・マディラン氏は、1965年7月にそのことを説明していた。
 同じイティネレール誌1965年7月号の中で、ルフェーブル大司教は、“新しい教導権たる世論”というものを、何時もの率直な方法で告発した。

 この記事の結びに、ルフェーブル大司教は、それぞれの司教たちのために、“指導”となる傾向があった司教団の奉仕に対して、各司教が自由でいられるよう要求した。
 大司教は言った。
「大多数の司教が少数の司教に対して、投票のゲームだけでもって無理強いするのはあってはならないことである。それは司教の権威の終焉となるだろう . . .司教は自分の司教区では完全に自由に留まらなければならない。さもなければ、司教は単なる公務員に、そして未成年に他ならなくなる。」

 フランスの司教たちの指導中核は自分たちが非難されていると感じたと結論を下さなければならない。何故なら、彼らがルフェーブル枢機卿を、その余りにも騒がしい従兄弟(ルフェーブル大司教)に警告させるために送ったからである。
「6月6日のあなたの記事と復活の火曜日にオゾン(Ozon)のベネディクト会士たちになされた講話で、あなたが行ったフランス司教団への攻撃の後、司教団は聖座に助力を求めようとする意向を持った。しかしながら大司教様の行いに関して、司教団はその苦しみと非難をあなたに知らせるように私に依頼した。」

 大司教は鋭く答えた。
「全司教たちに自分たちの考え方を押し付けようとする、司教団のある有力なメンバーの主張は認められない。それは、まさに司教の本性と、思想への最も基本的かつ合法的な自由に反している。思想支配を望む意志は、司教団事務局からのメモや、司教たちの司教の公式機関により公に支援されている定期刊行物、特にラ・クルワ(La Croix)誌を見ても、さらに司教事務局で働く神学者らの選考から見てもますます明確になっている。この方針と同調しない司教たちに反対してなされるのが絶対的な排他主義である。
 現在、司教団のこれら有力メンバーたちが強要したいと望む思想の傾向は、間違いなくリベラルであり、一般的に言えばそれは聖伝によるカトリック神学に背いている。. .. 多くの司教たちは、個人的には、同調主義者では全くない。しかし叱責と定期刊行物による批評を恐れるあまり、あえて公然と行動しない。司教らを掌握するこの知的独裁は容認することが出ない。」


 このイデオロギーによる抑圧を粉砕し、誤謬の侵略を撃退するために、ルフェーブル大司教には、これから御覧になるように、チェトゥス(Coetus)のメンバーだった司教たちとの絆を確立するというアイデアがあった。

 結末としてこのことを付け加えよう。3年後、例の“義務的基礎”に基づいて作成された最新の公教要理が出版された際、ルフェーブル大司教は個人的にこの闘争に深く関わった。デファンス・デュ・フワィェ(=家族の防衛 Defense du Foyer)の理事、ピエール・ルメール(Pierre Lemaire)によって出版されたパンフレットには『新しい公教要理についてどう考えるべきか?』という題がついていた。この小冊子を、1968年11月のルルドにおける司教会議前日、フランスの司教たちは受け取った。そこにはルフェーブル大司教が次のように書いて署名していた。
「フランスの教会は天主の呪いを自らの上に招いている。子供たちはパンを求めていたのに、サソリを与えてしまった。」

 ブルジュ(Bourges)の従兄弟であるルフェーブル枢機卿は怒り、ルフェーブル大司教が“疑いと不信”を投げる“全ての司教たち”が、“悲しみ驚いて”いる、と何度目になるのか、大司教に手紙を書いた。しかしながら、異端の疑いがある公教要理を何度も著したこの枢機卿こそが、ベルト神父から正しくも次のような称号を受けることになった。「圧政の歩兵」と。

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