第15章 レジスタンス憲章(1965-69年)
I. イデオロギー的抑圧との戦い
自然主義的グノーシス
しかしながら、権威の危機は、信仰そのものの危機の媒介でしかなかった。大司教は友人であるリュク・J・ルフェーブル(Luc J. Lefevbre)神父によって出版されている雑誌の数ページの中で、それの本性を暴露している。
彼は、“天主の権威に絶えず背く人間の傾向”を非難し、新近代主義者たちの著作の中で、“永遠の上智が私たちに旅路を歩ませることを嘉された、救いに至る道を啓示してくださる天主の権威に、理性が如何に対立するのか”を立証した。彼は、根本的な第一原理を、つまり贖罪の原初に横たわる現実を誤らせる事から始まった様々な異端の祖たちに対して、聖ピオ十世が行った非難から引用した。
「原罪、人間の堕落【が否定され】・・・信仰の全構造は完全に破壊されている。」
人類に必要とされる断続的な進歩に関する合理主義者の第一原理は、次のように「現代世界憲章」の中で公会議において言わせたのではなかったか。
「人類は、静止的世界観から動的・進化的世界観に移行したのである。そこから膨大で複雑な、新しい課題が生じ、それは新たな分析と総合とを要求している。」
20世紀初頭、レッシング(Lessing)、ヘルダー(Herder)、さらにヘーゲル(Hegel)の後継者らによってこの命題が宗教に応用されると、これは「リベラルで近代主義的なキリスト論」を生み出した。この新しいキリスト論はその当時、レオンス・ドゥ・グランメゾン(Léonce de Grandmaison)神父によって専門的に批評された。
しかしながら、1967年になると、テイヤール・ドゥ・シャルデン(Teilhard de Chardin)とラーナー(Rahner)らの思想の相続者は、(フランス語で教会認可 imprimaturもなく発行された)「オランダ公教要理」の出版と、フランス公教要理の“義務的基礎(fonds obligatoire)”を出版することを通して、彼らの進化論的かつ合理主義者的グノーシスで当時普及していた一般の公教要理を汚染した。このフランス公教要理の「義務的基礎」は、原罪や小罪、無原罪の御宿りの称号、悪魔、天使、さらに地獄などについて一切言及していないにもかかわらず、1966年に開催されたフランス司教総会によって認可された。その上、メス(Metz)司教区の司教がサンタヴォル(Saint-Avold)でなした宣言は、ジャン・マディラン(Jean Madiran)氏の雑誌イティネレール誌(118、119号)の【これを通してそれを知るに至った】購読者たちを憤慨させた。
この司教は大胆にもこう言っていた。
「私たちが目にする文明社会で起きているこの変動は、単に私たちの品行においてだけではなく、さらに私たちが抱いている創造の概念や、イエズス・キリストによって成し遂げられた救いについての概念においても変化をもたらしている。もっとも深いところにまで及ぶ疑問視は、新しい司牧だけではなく、さらに、世界に対する天主の御計画の、より福音的-同時により個人的で共同体的な-概念をより深めることになる。」
集団的な救いと人類の進化に関する知的エリート的な原理に基づいて信仰の与件を再解釈することをルフェーブル大司教は告発していたが、何と当を得た事だろうか!
二十世紀のこの異端に反撃するために、教皇パウロ六世は「信仰の年」を強調した。これは、そのメンタリティーに従って“キリスト教に新しい解釈を与えるという希望を無益にも流布している”ことをパウロ六世が非難していた“公会議後のメンタリティー”により明確な対処を講じるために起こされたのだった。1969年6月29日、「信仰の年」の終了に当たり、教皇は、自分の「ペトロの信仰宣言」を行なった。その時、ルフェーブル大司教は希望に満たされて言った。
「これこそ、私たちが楽観主義を取る深い根拠だ。」
至る所から人々は教皇に視線を向けていた。
残念ながら、教皇の行動はしばしばその発言と矛盾していた。例えばローマはあの新しい公教要理を非難せず、奨励さえ与え、他方では、政治(国務聖省)が信仰(教理聖省)の優位に立つという改革によってローマ・クリアはその秩序が覆された。同時に、かつての検邪聖省は単なる“教義普及”のための聖省に還元された。
教理聖省長官、セペール(Seper)枢機卿は説明した。
「自発教令、『インテグレ・セルヴァンデ』(motu proprio, Integre servande)は、信仰に関する教義に反する誤謬の非難に言及しているが、教理聖省の主な職務が、神学的探求の促進に携わることを強調している。それゆえ、今ではより積極的で動的な観点に強調点が置かれ、その主眼点が移り変わった。」
ルフェーブル大司教は、元検邪聖省勤務の、ブラウン枢機卿に尋ねた。
「この名義と職務の変更は、取るに足りない表面的な変更ですか、あるいは本質的な変更なのですか?」
「オォ!」枢機卿は答えた「本質的な変更です。それは明らかです!」
大司教はこのように結論を下していた。
「そうです、それはもはや信仰の法廷ではなく、常に‘真理を探究している’世界中から集まった神学者たちからなる委員会を持つ神学研究所です。状況は極めて深刻です。」
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