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2010年5月に聖ピオ十世会日本が行った秋田巡礼の写真を幾つかご紹介します。

2010年06月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
 2010年5月に聖ピオ十世会日本が行った秋田巡礼の写真を幾つかご紹介します。

 愛する兄弟姉妹の皆様の上にまた秋田の巡礼者の方々の上に、天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)









 秋田巡礼の巡礼記は、
聖なる鼓動さんの「なんとなく聖母マリア像のお顔をながめていました」や、巡礼こぼれ話、また、天の御国へロザリオ行列!それから、花咲香る天の御国へたどる道を.... などをご覧下さい。

【A ​FOX​(管理人)さん、少し引用させて下さいね。】

白い水仙は、口紅をぬったように、中の花びらが紅色にふちどられていてかわいらしい花でした。

今年は桜の開花が遅かったので、私達が到着する前日ぐらいに咲き始めたようです。

春先から初夏にかけての花々が一斉に咲いている、不思議な光景でした。
椿、梅もまだ咲いているところがありました。

むらさきのすみれも、ちいさなブルーの天人唐草も、仏の座、なずな、たんぽぽ、つくし、・・・
民家には、もくれん、チューリップ、クロッカス、つりがねそう、なども満開でした。

桜はとくに見ごろでした、満開!
いつも桜の季節は終わっているので、聖体奉仕会の十字架の道行きが
桜並木だったことには気がつきませんでした。

桜は、気候が暖かく風が吹いたらすぐに、散り始めるのですが、
私達が帰る日までほとんど散りませんでした。

そして、巡礼期間中も寒くて、旅館ではストーブをいれていました。

みははマリアの歌を歌いたくなる光景でした♪
花咲香る天の御国へたどる道をてらしたまえ!
花咲香る天の御国へ!

ホテル前から聖体奉仕会へ向かって、ロザリオ行列をしました。
マリア様のペナントや紋章のついた旗をもってロザリオをつまぐりながら
この日は、とても風が強く、肌寒い日でした。
旗も、風で吹き飛ばされそうでしたし、
女性のベールも飛ばされそうでしたが、
みなさん工夫してとばされないようにしていました。
この強風では、桜はもうおしまいだなあ・・・と思っていました。
聖体奉仕会に向かって、ロザリオ行列をしていたとき、
川沿いにすてきな桜並木がありました。
しばし、そこで記念撮影です。
不思議なことですが、
ほとんど桜の花びらは舞い散ることがありませんでした。
えだがガサガサ音をたてているぐらいのものすごい強風だったのですが。
もっと不思議なことに、記念撮影のために桜並木に向かっていたとき、
そして、写真撮影のときはちょうど良い日差しになっていました。
出来上がった写真をみたら、本当に5月の写真かしらと思うほど
見事な満開の桜!薄ピンクのバックに、
山吹色の旗やロイヤルブルーのペナントがとてもマッチしていました


ゲゲゲの森をぬけるとそこは......

花咲き乱れる聖体奉仕会です。

到着すると、シスターが、窓から私達の人数を数えていました。その姿がとてもかわいらしかったです。
なにしろ、たいそうな人数がロザリオ行列でやってきたのですから。

なんとなく聖母マリア像のお顔をながめていました。
ずいぶん昔、失業中でもあり、自分の将来に不安を抱いていたころ
この聖母マリア像の前で途方にくれて一人ぽつんと祈っていました。
ロザリオもよく祈れなかった当時を思い出していました。

今は、幸せいっぱい、一緒に祈ってくださるすばらしい信仰の友たちが

当時こんなことが将来起こるなどとは想像すらできませんでした。
数多くの聖歌を歌いました。

色々な音が一致してかなでるハーモニーは一人ではできません。
信仰も心も声も一致共鳴するとはなんとすばらしいことでしょう。
信仰も心も一致すればそれは共鳴する祈りとなり立ち上る香のごとく天へと上ってゆくようでした。


 また秋田日記の「秋田巡礼に行ってきました」の記事をご覧下さい。

【テレジアさん、少し引用させて下さいね。】

「今年の秋田は、自然が 本当にきれいでした。遥かに霞む蒼い山並みと 常緑樹の濃い緑を背景に、満開の桜がなんと美しかったことでしょう。東北の桜は、ソメイヨシノよりもピンクがやや濃くて、枝の蕾数が多いのが特徴だそうです。
・・・すぐに 小さき聖テレジア様の言葉をも 思い出しました。

聖テレジアは、雪がとても好きで、着衣式の日には雪を望んでいたのですが、とても暖かく、普通では雪などムリな天候であったにもかかわらず、その日は雪となったのです。・・・、いとも清き聖なる乙女、テレジアさまの願いを、神様が聞き入れてくださるのはわかりますが、こんな 取るに足らない者のためにさえ、天候をしばらく凍結して桜を遅らせて、そのささやかな望みを叶えてくださる聖主のおやさしさに、驚きつつ感謝するばかりでした。それに、天主様がこういったプレゼントをなさるときは、ハンパじゃありませんね。

桜とともに、八重桜も同時に満開で、黄色いヤマブキや、白いモクレンもほぼ満開、近所の農家の庭には、チューリップや、水仙が咲き、ツクシだらけの一角があり、修道院の前は、春の野花と水仙でいっぱいの上、赤い椿の花さえ、かなり残ってました。聖堂横の石のあたりは、濃いピンクの芝桜がびっしりでしたし、道のミゾに沿って、大振りのタンポポがズーッと並んでいました。
りっぱな鯉のぼりも、ちょっと強めの風に、美しくひるがえっていました。

冬の終わりから、初春、中春、晩春の花々が、一斉に咲きそろっていて、すばらしかったです。毎年、いらしている方が、「今年の秋田が一番きれい!」とおっしゃっていましたが、本当にそうでしょうと思いました。

満開の桜は、やさしい母マリアさまの、心尽くしのように感じられました。
「娘よ、遠くからよく来てくれましたね。」と、おっしゃるかのようでした。


秋田にいる間中、幸福でした。もちろん、天候もよく、自然も美しく、さとみ旅館の温泉もお料理もよいのですが、それだけではないのです。

お祈りも、ロザリオも、一人で唱えているのとは違う、みんなと一緒に唱えている、歌っている時に、イエズスさまとマリアさまが、喜んで聞いてくださっているように感じられるからかもしれません。

なんというか、心がやさしさに包まれて、なんとなく幸せな感じ というのは、「こうだから」と、理屈ではうまく説明できません。

ただ、「マリア様 ありがとう、また来年も御旨ならば来れますように」 と思うばかりです。・・・秋田のマリア様の出来事を信じ、感謝するすべての方々に、聖母マリアさまが、やさしい抱擁をもって、報いてくださいますように、お祈りいたしております。

***


 別の巡礼者の方からは、次のようなお便りも頂きました。本当は、たくさんのメッセージを頂いたのですが、お一人のものだけをご紹介させて下さい。

Ave・Maria!
 この度秋田の巡礼に参加させて頂き有難うございました。
 小野田神父様と皆様の笑顔とご親切に私たちは感謝しております。
 公教要理、祈祷書、ミサ典書、聖歌集などたくさんの貴重な本もありがとうございました。
 帰りのスーツケースはずっしりと重くなりましたが、心は軽やかに霊魂は晴れ晴れとしたものを感じながら帰途に着きました。その後、しおりを取り出しては聖伝のミサを思い出しています。遠い思い出とならない内にまた聖伝のミサに参加したいと思います。それまで、皆様お元気でいて下さい。祈りのうちに・・・

追伸 
 先日、マニラのeそよ風を見ていました。小野田神父様がヨゼフ・マリ・ジャック神父様から洗礼を受けられていること、そして〝口での御聖体拝領に関する弁明”を小冊子にするために奔走されたこと。
5、6年前でしたか、秋田の聖母に関するインターネットで〝口での御聖体拝領に関する弁明”を読み私は大変ショックを受けました。そのサイトの方からこれは以前小冊子だったものだということを教えて頂きコピーを送ってもらいました。それ以来私は手に御聖体を頂くことが出来なくなり口での御聖体拝領に変わりました。
小野田神父様が奔走して下さったおかげで私にも御聖体拝領を深く受け止め、悔い改めることができたのです。
本当に有難うございました。聖母のお導きに感謝!」

【お返事】

天主様に感謝!天主様に感謝!天主の聖母、終生童貞なる聖マリア様に感謝!


聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.3.2.「一緒に働く事は出来ない」

2010年06月02日 | ルフェーブル大司教の伝記
「一緒に働く事は出来ない」

 夏の間中、大司教に深く染みこむ信仰にある現実主義---これは彼が性格上持たなかった悲観主義ではない---は、自分自身に密かにこう言わせた。「聖主の君臨のこれらの敵たちと一緒に働く事は出来ない。」

 しかし、7月28日、彼宛に書かれたラッツィンガー枢機卿の手紙は好意的であった 。否定的な言い回しではあったがこの手紙は、先例のない“補佐司教”容認への序章である。「聖座は、聖ピオ十世会が適切に教会法上の構造を付与されないならば、聖ピオ十世会に補佐司教を与える事は出来ません。」

 この手紙は、聖ピオ十世会に対する、会の“適切な自律性”の授与に言及し、1962年版ミサ典書の使用、神学校や叙階の存続が可能であると確認した。さらに、聖ピオ十世会神学校において教授される“教えの正統性”と“カトリック教会の精神”を保証し、品級候補者の判定をすべき--―これらは本当のことである--- 枢機卿視察官の“遅滞なく、前提条件なしで”指名することを公表した。

 1987年8月22日、聖母マリアの要求に従って、ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献する為に 来たファチマで、大司教は最も気心の知れた協力者たちを集めた。総長のシュミットバーガー神父と、総長補佐であるオラニエ神父とビズィーク神父の2名、さらにティシエ・ド・マルレ神父、ウィリアムソン神父、デ・ガラレッタ神父、そしてフェレー神父がいた。

 大司教は既に上述した協力者たちの中から数人が自身の“補佐司教”になることが確かだと感じていた。彼は、枢機卿視察官が持つだろう過度の権限を強調した。「この視察は私たちを分裂させ、神学生たちを追い払ってしまう危険を孕んでいます。」

 「これらの人々に従う事など私たちには出来ません。それは棄教です。何故なら、君臨すべき聖主イエズス・キリストの神性を彼らは信じていないからです。待つ事にどんな益があるのですか? 司教聖別を行いましょう! 決行日として、10月25日、王たるキリストの祝日を提案します。」

 しかし集まった協力者たちの全体的な見解は、事を急ぐべきではないというものだった。

「むしろ待って、譲歩を見せるローマが何処に導いているのか見ましょう。適切に教会法に基づいた構造を練り上げて、司教聖別への許可を手に入れるように試してみましょう。こうする事で、私たちは自分たちに非難を招くような事は何も行わない事になりますし、【司教聖別強行前に】万策を尽くした事にもなるでしょう。」

 大司教はこの見解に同意するものと思われていた。しかしジゴンダ(Gigondas)在住の友人、ロラン・ムニエ(Laurent Meunier)夫妻宅で過ごす為、フランスに帰った時、彼がそこで見出した平和が「将来の司教たちに宛てた手紙」を書き下ろす事を可能にした。それは8月29日付けで書かれたが、間違いなくその前日(手紙の終わりに聖アウグスティヌスに言及している)には思いついていたものだった。しかし彼はそれを自分の手元にとどめ、誰に対してもその宛先人にさえも送る事はなかった。

「親愛なる友人たちよ、
  ペトロの【使徒】座と、ローマ当局の様々な地位が、反キリストたちによって占領されてしまったので、聖主の君臨の破壊工作は急速に遂行されているところであります。(…)それは特に、Regnavit a lingo Deus【天主は木によって統治した】、つまり十字架上で聖主が勝ち取った凱旋の華麗なる表現であり、聖主の君臨が霊魂と社会にまで拡張する源でもある聖なるミサを腐敗させることを通して行われているのです。(…)私は、カトリック教会とカトリック司祭職とが生き残り続ける為にも、私が頂いたカトリック司教職の恩寵を伝えよと天主の御摂理が私自身を強いている心地がします
(…)ペトロの使徒座が、それ程遅くならない内に、完全にカトリックなペトロの後継者によって占領され、その時にはあなた方は授かった司教職の恩寵を、このペトロの後継者がそれを確認するためにその手中に委ねる事が可能となると確信し、私はこの恩寵をあなた方に授けるつもりであります。」

 アシジのパンテオンにキリストを加え、キリストの社会的君臨を拒絶する事は、キリストの神性の否定であると共に、“キリストを否定すること”であり、使徒聖ヨハネが言ったように、“反キリスト”【1ヨハネ2章22節;4章3節】ではないのか? 

 司教聖別を行う為に自分で選んでいたマルティニにある会場が10月25日には利用出来ないと言う事で、ルフェーブル大司教は密かに日程を12月27日、使徒聖ヨハネの祝日に変更した。


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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