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ルフェーブル大司教の伝記 6.1.2.ガボンの福音宣教ベスィユ司教とその後継者

2010年06月16日 | ルフェーブル大司教の伝記
ガボンの福音宣教‐ベスィユ(Bessieux)司教とその後継者

  赤道直下のアフリカ大陸における福音宣教は、ポルトガル人宣教師たちによって1491年に開始され、非常に速やかに近海の島々や大陸から来た邦人司祭たちの手助けを受けた。公教会はベニン王国(Benin)とコンゴ南部王国内に定着した。

 [ポルトガルのコインブラで学んだコンゴ王ペドロ3世の息子ヘンリーが、1518年5月8日に、教皇レオ十世によって司教に聖別された時それは、公教会にとって栄光の時だった。1596年、アンゴラとコンゴを統轄する司教座が設立された。ガボンの方は、ドゥアルテ・ロペス(Duarte Lopez)が今日ではその名前を持つ岬に上陸すると、おそらく宣教師たちの連続した急増を経験したのだろうか? 彼らはアウグスティヌス会士、イエズス会士、及びカプチン会士たちであった。いずれにしても十九世紀までは、宣教師たちの功績の跡というものは一切残らなかったのだ。

  パリにある勝利の聖母の小教区司祭デジュネット(Desgenettes)神父の摂理的介入を通して、尊者リベルマンが、エドワード・バロン(Edward Barron)司教との接触を取るに至った。この司教は、少し前にセネガル川から南部を流れるオランジュ川まで広がる広大な地域である、(所謂)“二つのギニア”の代牧(vicaire apostolique)に使命されたばかりのアメリカ人高位聖職者であった。残念にも、リベルマンの息子たちによる第一回目の遠征はリベリアの棕櫚岬(the Cape of Palms)で、7人いた宣教師の内の6人がアフリカ熱によって死亡し、悲劇として終わりを遂げたのだ。

 ジャン・レミ・ベスィユ神父(1803-1876)は死んだと思われていたが、たった一人生き残り派遣されていなかった所‐ガボン‐へ1844年9月28日に上陸することとなった。

 彼は、遡る事4年前にフランス海軍によって築かれたオマール駐屯地【Fort d’Aumale】近くに定住した。1848年、奴隷船から逃れて来た黒人の一団は、小高い高原にある駐屯地近くに住み着いた。それが理由でこの高原はリーブルヴィル【Libreville:自由の町‐訳者】と名付けられた。そしてベシィユとその最初の伴侶たちはキリスト教を彼らに教え始めた。1849年、無原罪の御宿り姉妹会がカストル (Castres)から到着した。ベスィユ司教は、ヨーロッパで司教に聖別されて後、二つのギニアの代牧としてガボンに戻った。

  1860年に彼はポングェ族の回心を使命とする聖ペトロ小教区(サン・ピエール)というリーブルヴィルの小教区を設立した。彼の後継者たちは、川伝いに進むさらに深く内陸に向かった。コモ(Komo)川、オゴウェ川とその支流、さらにングニェ(Ngounié)川を深く上り、およそ12箇所に根拠地を設置した。最後のものとなるオイェム(Oyem)の根拠地は、既存の根拠地から選抜された120人というカテキスタ(公教要理を教える伝道師)の大群の手を借りて、1929年にタルディ(Tardy)司教によって設置された。これらの“偉大な手段”は実を結んだ。一年後のオイェムは、既に7,000人の求道者を抱えていたのである。

 1904年から1918年までの間、ルイ・タルディ司教はンジョレ(Ndjolé)の宣教師であった。1926年に司教としてそこに帰って来た彼は、25名の聖霊修道会司祭と、6名の邦人司祭、聖霊修道会の修道士部門から16名の修道士ら、さらにリーブルヴィルの聖マリア宣教区にあるモンフォール・スクールで教職に就く3名の聖ガブリエル修道会修道士、さらに若き女性たちを教育する33名の無原罪姉妹会(Soeurs de l’Immaculée)の修道女たちを同伴していた。タルディ司教の非凡な才能は、1911年にガボンで原住民の為に創立された聖マリアの幼き姉妹修道会(Congrégation des petites Soeurs de Sainte-Marie)を発展させる事になった。この修道会は女性解放のための彼の戦いにとって大成功であった。それは間もなく青色姉妹会(Soeurs Bleues)の養成を受けた50名の修道女たちを持つ事になり、1949年には独立した組織になった。この司教が持つ第二の天才的手腕とは、カテキスタの養成である。カテキスタたちは地域の代表カテキスタの責任下にある村々に配属された司祭たちに不可欠な助手であった。この増大する大群のお陰で、ガボンにおけるキリスト教は次の表が明確にする様に、驚くほどの発展を遂げた:

年度    1925    1931   1938
伝道師   152     700   1451
受洗信者  18,660  30,000  69,684
洗礼志願者  3400  35,000  43,130

  このようにして、カトリックの教会は聖座の指導に従いつつ偽りなくこの国の“占領”に取り掛かったのである。


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