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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 20.1.4.“エクレジア・デイ”の心理

2010年06月14日 | ルフェーブル大司教の伝記
“エクレジア・デイ”の心理

  “エクレジア・デイ傘下”のカトリック者たちの動機は、様々である。ビズィーク神父などは、ローマに対する彼の信仰を考えるなら最も高潔である。しかし彼の信仰とは、ローマが占領されているという事実を忘れたいと望む、良く照らされていない信仰である。“破門された”大司教から追随者たち数名を引ったくって、そっと少しずつ、第二バチカン公会議に彼らを引きずってくることを喜ぶローマのことを

 ルフェーブル大司教は批評している。
「現今の公会議による当局の手の内に身を置くことで、彼らは暗黙の内に公会議と、それに由来する改革を承認しているのです。仮に彼らが、諸特権をもらったとしても、特別で一時的なものに留まるのです。この承認は彼らの発言を一切妨げてしまいます。司教たちは彼らを見張っているのです。」

  さらに占領されているローマは、エコンの大司教が主張する緊急事態など存在しないと証明する事にも満足していた。彼らは言うのである。ほらね、私たちがルフェーブル大司教に5月5日に譲歩していたものを全部、つまりミサ、神学校、1962年版の典礼様式による叙階式の継続、教皇権を皆さんに差し上げますよ、と。全てを提供しますよお、但し、司教を除く!と。

 「はっきり申し上げますが、」ルフェーブル大司教は強調した。「仮にローマが『エクレジア・デイ』に司教一名を与えたとしても、それは一体どんな司教でしょうか?」

 「どんな司教? それはもちろん、バチカンにとって好都合な司教です。この場合には、彼らはとてもスムーズに自分たちを公会議に連れて行く司教を持つでしょう。それは分かり切った事ですよ。完全に聖伝を支持し、公会議の誤謬と公会議後の改革に反対するような司教を彼らが持つことなど絶対にないでしょう。だからこそ、私たちの時と同じ議定書に署名しなかったのです。彼らには自分たちの司教がいないからです。」


 占領されているローマは、完全に聖伝を支持する司教など望みもしないのだ。

 “エクレジア・デイ傘下”のその他のカトリック者たちは、教会的な一致が信仰の一致と同様に重要であると考えている。これは【信仰の一致が存在する‐訳者】平和な時代にとっては真実なのではあるが、異端がはびこり、聖伝から離教している時代にとってそうなのではない。加えて言えば、ルフェーブル大司教が言う様に、公教会の一致は、ただ空間における水平の一致であるのみではなく、時間における【不変の信仰における一致により確証され、過去から今日まで、全時代を貫いてきた‐訳者】垂直の一致でもあるのだ 。

 ドン・ジェラールはジャン・マディランと共に「公教会の公式な可視的範囲外に追いやられる事」は「正に公教会の聖伝そのものにとって害になる」と考えた。

 大司教は回答した。
「ドン・ジェラールとマディラン氏による可視的教会とかいうこの話は子供じみています。私たちが代表し、存続させようと試みているカトリック教会に対立する公会議の教会のことを、彼らが可視的教会であると語ることができるとは、信じられないほどです。状況を熟知しているマディラン氏が、私たちは可視的教会の中におらず、私たちが不可謬なる可視的教会を出て行こうとしていると言ったとしても、これらの言葉はこの状況の現実を表していません。」

 “エクレジア・デイ傘下”のカトリック者たちは一般に、彼ら曰く、自分自身をその外に置いてしまったルフェーブル大司教よりも、自分たちは“公教会の内側から”より効果的な働きをすると考えている。大司教は熱意を以ってこの反論に答えた。

「どの教会について話しているのでしょうか? もしそれが公会議の教会なら、私たちは20年間もこの教会と戦ってきましたが、私たちはカトリック教会を望んでいるが故に、この公会議の教会に入り、それを、言わば、カトリックにするべきだと人々が言います。しかし、これは全くの幻覚なのです。長上を作るのは配下の者ではなく、長上こそが配下の者を任命するのです。全ローマ聖省の中で、進歩主義者である世界中の全司教たちの中にいたら、私の声は完全に掻き消されていたでしょう。もしそうだったら、私には信徒と神学生たちを守る為に何もしてあげる事が出来なかったでしょう。さらに、彼らは私たちにこう言っていた事でしょう。「そうですね、皆さんには叙階式を行う為にこの司教を与えましょう、貴方の神学生たちは、これこれという司教区から来たこれらの教授たちを受け入れなければなりません。」そんなことは出来ません!聖ペトロ会には、アウスブルクの司教区から送られた教授たちがいます。これらの教授たちは、どんな人々なのでしょうか?彼らは何を教えているのでしょうか? 」

  最後に、その他の“エクレジア・デイ傘下”のカトリック者たちは、“破門” のレッテルが原因で使徒職の発展に必ずやもたらされる損害を、特に中堅クラス、あるいは“最上流階級クラス”において、予防することを実際面で特に心配している。

 ルフェーブル大司教が展開する戦いに忠実に留まった司祭たちは、---その大々多数は---真理を黙らせるか、もしくは傷つける事を義務付けられるよりは、むしろこの危険を選んだ。何よりも先ず、彼らは聖伝のミサ典書が“昔のやりかたの感性”というものに還元され、公会議による多元主義の片隅に置かれるか、あるいは【教区司教独自の好みに左右される‐訳者】運次第の不安定な特別許可により壊れやすい箱の中にしまい込まれるかするのを拒絶した。

  マディラン氏もまた、この意見を持った人であった。では何故、彼はルフェーブル大司教の後に従わなかったのだろうか?彼は従う人ではなかった。今まで彼は、ルフェーブル大司教の聖ピオ十世会を、“カタコンべやノエの方舟のための司祭たち”として理解していたのだ。 補足裁治権に基づく安定した組織設立は、彼にとってはよそ者であると言うか、必然性に欠けるものであった。6月30日の司教聖別はこの彼にとって自由に討論される問題であり、ロマン・マリーとドン・ジェラールへの彼の友情は、先ず彼が【大司教の‐訳者】見方をする事を差し控える態度を取らせた。大司教は心配し、1988年8月19日に、この報道記者を招いて彼に選択を迫った。

「私たちの20年間に及ぶ戦いの間、あなたの意見と判断は、闘う人々の軍勢を激励し、導く為に非常に重要でした。今回も、もう一度、正しい選択を行って下さい。」

 しかし、それは余りにも遅すぎた。ジャン・マディランは、司教聖別がいったん行われると、この問題の性質は変わってしまう事など理解しなかったのである。かつて司教聖別の仮定は自由討論の題材であったが、6月30日を機に、それは一指導者の賢明な決断の行為になった、つまり信頼の同意と、正しい意見を求めえる行動となったのだ。マディランは、科学的精神(証明するという知的能力を「科学」と呼ぶ意味においてであるが)の犠牲者として、同意すべきところで証明することを望んだのだった 。しかし証明することが出来なかった彼は疑問に思い、その疑念の中、自ら大司教から距離を置き、ついに離脱したのである。

  ルフェーブル大司教は、自分に同意しなかった人々に皮肉や侮辱を浴びせかける様な事はしない。ルフェーブル大司教はこのような高潔な心構えを要求した。

 「私たちの所から去って行った方々に対する不賛成を表すのに、少し辛らつすぎるような表現によってなすことを全て、私たちは避けるようにおそらく気を付けるべきだと考えております。侮辱だと受止めかねない形容を彼らに負わせないように。個人的には、私たちを去って行く方々に対して、私は何時もこの態度を取って来ました。(…)私は常にこの原則に従って来たのです。『関係が無いなら、それで終わり』と。」 この規則は正義であって、愛徳に何一つ反していない。これら2つの徳は、霊的でありながらも実践的なルフェーブル大司教の中で互いに補完し合っていた。

  大司教の地上における生活の終局を物語る前に、私たちはこれから簡潔にマルセル・ルフェーブルの霊的で、心理的、そして倫理的な肖像のスケッチを試みることが残っている。

【日本語訳の読者の愛する兄弟姉妹の皆様は、ここでは、まだルフェーブル大司教のアフリカ時代のことが触れられずにとばされていましたので、私たちは今からアフリカ時代を見てみることにしましょう。トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)】

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