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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.3.7.ル・ポワンテで開かれた会議

2010年06月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
ル・ポワンテで開かれた会議---話し合いの打ち切り

 何年もの間大司教は、照らしを求めて聖霊に祈り、導きを願って童貞聖マリアに祈り続けてきた。1987年3月には、毎晩、彼は眠る事が出来ず、祈りに起き上がった。彼はしばしば声に出して言った。

「おお!私が何をすべきかを私に教えてくれるために、聖母マリアさまが私に現れてくださるなら!」しかし彼は、信仰によって照らされた自身の理性を最後の拠り所にしなければならなかった。

 後の数ヶ月は、親しくする運転手たちに彼はあっさりと質問した。「貴方が私の立場にいたら何をしますか?」
「何と答えたらいいのか?」マルセル・ペドローニは独り言を言った。「ルフェーブル大司教に私の忠告なんぞ必要ないのに。」

 「天主の御摂理は何をお望みだろうか?」これは彼が一番好きな問いだった。1988年5月25日のアルバノで、彼は自分の司祭たちに尋ねた。「私は何をすべきでしょうか?」その次に彼は加えて言った。「私は総長ではありませんから、シュミットバーガー神父様にこの問題を委託しなければなりませんね。」アメリカで電話による連絡を受けた総長神父は、カナダ行きを取りやめ、素早くローマに戻った。

 1984年、インダルト【特別許可】・ミサという問題に関しても、聖職者抵抗運動の“指導者たち”に大司教は意見を求めている。モンシニョール・デュコ・ブルジェ(Mgr Ducaud-Bourget)や、アンドレ神父、コアッシュ神父、ヴァンソン神父、ドン・ギユーなどの司祭にだ。同様に彼は聖ピオ十世会の「ル・ポワンテの聖母」支部小修道院に、1988年5月30日、信仰の大擁護者の司祭たち、並びに盟友の諸修道会の長上たを招集することを決意した。

 「何があろうとも、6月30日に4名の司教を聖別する方に私は傾いています。私の年齢と衰えている健康は、天主様が私を御許にお呼びになる前に、‘私の事業’ではなく、司祭職の復興及び、カトリック信仰の保存を目的とする、この慎ましい事業を守る保証をせよと駆り立てるのです。私が5月20日、ヨハネ・パウロ二世に書いたように、‘近代主義の誤謬から完全に隔離された環境に身を置く’‘カトリック信仰を自由に生き返らせる事の出来る司教たちに’この司教職を授与する事によってこそ、私はこれをやり遂げる事が出来ます。皆さんがどうお考えなのか教えて下さい。」

 大司教から滲み出る行き届いた心遣いと、彼らが続けて情報に通じているように施す配慮、さらに、老齢の司祭たち同様より若い修道会長上の司祭たちの中にも統一見解を見出したいという希望に、そこにいた誰もが心を動かされた。4人の司教聖別後に、制裁と中傷の雨が降り始める時には、聖伝が共に一致団結して持ち堪えると保証しているこの会議の持つ重要性を一人残らず理解した。

 ドゥ・シャラール神父は、アルバノから電話を通して、同日に書かれたラッツィンガー枢機卿による手紙の内容を伝えた。それによれば、ルフェーブル大司教によって指名された候補者達には満足が行かない、彼ら候補者たちは、正当な“プロフィール”を持っていない、であった。ローマは、聖ピオ十世会の中から正当なプロフィールを持った司教受品候補者、つまり扱い易くて優柔不断、さらにはすっかり自由主義にのめり込んだ候補者一名を見付け出そうとしているのか?この脅しは単なる空想ではなかった。何故なら、モンシニョール・ペルルは、使徒的視察訪問でエコンへ来た際に、このことに関して【おあつらえ向きの司教受品候補者を】入念に探っていたからである。

 そこで、この小さな聖伝会議の参加者たちは、正直に自分の意見を各自述べた。
 ルカルー神父、カプチン会の司祭たち、コアッシュ神父、ティシエ・ド・マルレ神父たちは、例の同意に賛成であった。ドン・ジェラールも同様であった。
「もし断絶が生じれば、私たちは、二度と大教会に戻らない‘小教会’のような宗派に、社会的になってしまうでしょう。」
大司教が言及した危険に関しては
「自分で自分を守るのです!どうか教義的である私たちの強さを過小評価しないように致しましょう。私たちの共同戦線を損なったり、私たちの兄弟たちの中で不一致を作り上げたりするような事は一切しないというカトリックの協定、愛徳の憲章を私たちの間で築き上げようではありませんか。」

 アンドレ神父がそれと全く反対の意見を言った。
「私たちの要求を維持しましょう。さらに、私たちの自由を保ち、数々の非難と破門のレッテルを耐え忍ぼうじゃありませんか。」

 オラニエ神父は慎重に語った。
「ローマには、カトリック教会の思考に反する神学的かつ哲学的思考体系というものがあります。私はこの同意を恐れています。それが、私たちの敵である、悪魔の悪巧みを恐れます。リュスティジェや、ドクルトレ、そしてアシジの教皇と討論したいとは思いません。聖別される司教には精神的な権威がないでしょう。私はローマの官僚主義が恐ろしく思います。‘私はカトリックであるローマには固執しますが、近代主義のローマは拒絶’します。後者のローマは、私たちを貪り食うレビアタン【旧約聖書ヨブの書、第3章8節などに登場する水中に生息する巨大獣‐訳者】である危険があります。」

 修道女達は殆ど一致して断言的であった。
「信仰を失った司教たちを交渉相手にすることはできません。」とはファンジョのドミニコ会修道女たちの言葉である。

 ブリニョールの修道女たちは、官僚的事務所への従属は、“今や近代主義に染まった母体修道会との接触”を取るように自分たちを追い込むかも知れないが「それは出来ない」と考えた。

 聖ピオ十世会の修道女会の修道女たちは、“信仰に対する危険と聖伝の団結の危険”に言及した。

 最後に、カルメル会修道女たちは、この同意は“聖伝陣営内に持ち込まれたトロイの木馬である”と言った。

 例の同意がもたらす利益と不利益を客観的に説明して来たルフェーブル大司教は、最後に天秤が今やどちら側に傾いているかを明らかにした。その【判定の-訳者】原理は明快なものであった。
「近代主義のローマとの公式の繋がりは、信仰の保存と比べたら何でもない!」

 会議が終わると、「私たちは大司教の決定を支持します。」と全員が約束した。

 しかし、すでにドン・ジェラールは大司教を一人脇に呼び出して言った。「【世界中で展開している聖ピオ十世会を率いるルフェーブル大司教とは異なり‐訳者】私たちの条件は特殊ですから、我々の正常化の試みは聖ピオ十世会ほど危険では御座いません。」

 大司教はこの意見を容認した。
「貴方にとって、ことは同じ事ではありませんね。あなたには自分の周りに修道士たちがいるだけです。私は80の小修道院と500の聖堂を持っています。分裂が起こるでしょう。」

 しかし、大司教が仄めかしていた分裂とは、あなたと私たちの間に、ル・バルーとルフェーブル大司教との間にあった。ドン・ジェラールはそれを理解していなかった。自分の言っていた協定や共同戦線についてあっという間に忘れてしまう彼は、6月21日になるや否や、個別の合意をローマ当局と協議するであろう。


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