第6章 ガボンのジャングルに住む人
Ⅰ. アフリカにおける尊者リベルマンの息子たち
ジャングルとその住民
ガボンは、大河オゴウェ(Ogooué)とその支流、及びそれに隣接する川が幾つも流れる盆地に位置する国である。これらの川を流れる豊かな水は、湖や、入り組んだ入海に向って開かれた様々な河口に注いでいる。航行可能な下流を持つこれらの川も、人跡未踏な区域となれば、危険と言うよりはむしろ、渡ることさえ出来ない激流となっている。
見渡す限り、赤道直下の酷暑の森林が丘陵地帯に広がっている。絶えずに高温多湿であるその気候は、毎年八ヶ月も降り続く激しい雨により酷くなるだけであり、マラリア、眠り病、肝血腫などの原因となるあまたの不快な害虫を引き寄せた。これらの害虫のどれ一つを取っても、身軽な豹(ヒョウ)や貪欲なワニよりも遥かに危険なのだ。
少数の原住民であるピグミー族は別として、その住民は、(土壌枯渇に起因する)半遊牧民である25に及ぶバントゥー族から成り立っていた。宣教師達は彼らの救霊の為に、自らの健康や実際には命さえも危険に曝していたのだ。この部族は定住する傾向にあり、彼ら独自の風習と固有の方言を保ってしたのである 。マルセル神父は特に、聡明で商売熱心な河口沿いに住まいを定めるポングェ族や、その親類でオゴウェ川下流域に住むガロア(Galoas)族、あるいはミエネ(Myénés)族、さらにオゴウェ川の河口全域を侵略していた北の住民ファン(Fans)族、又はパウワン(Pahouins)族と面識を持つことだろう。
上述した原住民の全てが、この大河沿いの二十から数百の小屋から成る村々で生活している事は【宣教師たちの‐訳者】司牧を促進した。時折彼らは内陸に向い、止めどなく潅木が生い茂る丘を越えて蛇行する小道沿いに居住した。彼らは、叔父や叔母または従兄弟ら、さらに最初の妻か、彼女たちが買われている限りでは、別の妻たちの何れかから生まれている一人の親が儲けた全ての子孫たちを算入すれば、【血縁的には‐訳者】広範囲な家族において生活していた。このような一夫多妻制を認めない宣教師たちではあったが、洗礼に拠れば愛徳に変質するものである保護による結束性の中に、その存在理由を見出す部族の階級制度を重んずるよう心がけた。
この原住民たちは基本的に、彼らを創造された個人的な神や、霊魂の不滅を信じていた。しかしながら、彼らの礼拝には、先祖たちから受け継いだ儀式と、悪魔が持つ保護力に対する信心が含まれていた。呪い師たちはくじ引き、又は占いを通してこれらの悪霊たちを働かせ、それによって絶えず恐怖心や、執念深い憎悪、殺人、さらに、特に真の天主と唯一の救い主に対する無知を助長していたのだ。
天主への愛徳を繁栄させようと硬く決意した先任者たちが残してくれた足跡をマルセル・ルフェーブル神父が辿り始めた場所とは、正にここだった:Credidimus caritati‐私たちは天主の愛を信じた 。