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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.4.1.唯一この決断が出来る者

2010年06月08日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ.司教聖別


唯一この決断が出来る者

 協議したルフェーブル大司教は、今度は決断しなければならなかった。熟考には時間をかけるが、決断には迅速であるのが正に賢明の徳である。彼は一人でこの決断を下すだろう。

 バチカンは、彼が“側近の囚われ人”であると信じ、あの司教聖別の前日、大司教をその想像上の看守から救い出そうと、わざわざエコンに大型のメルセデス・ベンツを一台差し向けた。

 後日彼は言った。

「側近者たちをこの司教聖別にまで行くように励ましているのはこの私だというのに、何時も私の側近について彼らが語るのは不思議です。」

 それは事実だった。あの不屈のシュミットバーガーも、活気に満ち溢れたオラニエも大司教を司教聖別に追いやらなかった。聖別するかしないかの決断はルフェーブル大司教だけが一人することができた。

 ローマの神学校で勉学に勤しんで此の方、カトリック教会の感覚に満たされ、その上、アフリカにおける教皇ピオ十二世の使節かつ相談相手でもあり、さらに第二バチカン公会議開催期間中には信仰の布告者だった彼をおいて、一体誰が、カトリック教会の真理に対する当局の裏切りを判断することができるというのか?


 彼は、カトリック司教、つまり使徒の後継者の任務を40年間生きて来た者として、自分の両肩に恐ろしい責任が負わされているのを痛感した。公共の救いのために彼が取ろうと考えている異例な手段が、合法的かつカトリック的であり、さらに非合法から程遠いものであるという事を判断する立場にいるのは自分だけであると彼は気づいていたのだ。さらに彼は、この聖別の行為が罪ではなく、むしろ公正かつ高潔であると考えた。

 だからこそ彼はこの司教聖別の後に言ったのだ。
「私がもし自分の良心にかけて罪を犯していると考えていたとしたら、この司教聖別を挙行しなかったでしょう。」

 1988年6月2日、キリストの御聖体の大祝日にも、彼は自分の下した決断を書面に記し教皇宛に送った。

「私たちが提示させて頂いた要請の検討拒絶を受け、さらにこの和解の目的が、聖座の観点から見るものと、私たちの観点から見るものでは全く異なっている事は明白なので、私たちはローマが聖伝への帰還する為により適した時節を待つ事が好ましいと考えております。」
「よって、ラッツィンガー枢機卿閣下による5月30日付けの手紙によって、司教聖別の許可が8月15日までに与えられているので、この司教聖別は聖座の意志に反していないと保証されておりますから、私たちは御摂理が自分たちにお委ねになったこの事業を遂行する手段を自らに与えるでしょう。」
「私たちは、近代主義に犯された近代主義のローマが、もう一度カトリックのローマに戻り、その二千年に亘る聖伝を再発見するよう祈り続けます。その時、和解という問題は存在理由をもはや失い、カトリック教会は新たな若さをもう一度見いだすことでしょう。 」




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