ドンギラの聖パウロ宣教区の長上アンリ・ギユエ(Henri Guillet)神父は、特に宣教区の教会の増築の仕事をへとへとになるまで働いていた。1940年1月、タルディ司教は彼にフランスでの6ヶ月休暇を与えている。この休暇期間中の彼の代行として、タルディ司教はマルセルを任命すると、アンリ神父が彼に言った。
「司教様が私に貴方を代理にすると約束された時、私にはそれ以上の反対など一切ありませんでしたよ。」
しかしながらマルセルは8月まで待たなければならなかった。ドフラヌー神父がそれまでの間そこを代行していたからである。
この宣教区はコモ(Komo)川が大西洋の波とかち合う入り江に最も近い岬に位置していた。そこは昔からのパウワン族カトリック共同体を受け持っており、1938年にはちょうど設立60周年記念を祝ったばかりであった。そこには鐘楼と翼廊のある木造の素晴らしい教会と、他にもこのカトリック宣教区の構成に役立つ様々な古典的な建物があった。
1930年になると、ドンギラは、猛烈な木材貿易が原因で、多くの住民をリーブルヴィルに取られているところであった。幸いな事に、司祭たちの司牧もまた同様に、モン・デ・クリスタルに向かって更に内陸や、はるばるスペイン領ギアナとの国境地帯までに存在する村々へと拡がったのである。
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