私は受けたものを伝えた
霊魂の救いと司祭職の純正さと信仰とが危機に陥っている悲惨な状況に直面して、ルフェーブル大司教は、大いに聡明な判断能力と円熟していて賢明な意思決定とを示した。
「カトリック教会を続けるために、まったくカトリック的な司教たち」 を持つ必要性に直面する立場に一人置かれ、その上、ローマは麻痺状態と霊的エイズに陥っているがゆえに、公教会のセンスとカトリック教会に対する愛とに従って彼は熟考し、判断し、行動したのだ。フィリップ・ラゲリ(Phlippe Laguérie)神父が書いたように、この司教聖別によって提供された解決策は、“イエズス・キリストの名誉のためであれば、全世界でさえ自分を竦ませる事が出来ない” ルフェーブル大司教の「最高に寛大な行為」を構成したのだ。