Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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長崎の原爆とカトリック聖歌「みははマリア」とその元のフランス語の聖歌

2010年06月24日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック聖歌「みははマリア」の元のフランス語の聖歌をご紹介するに当たって、ご存じのない方もいらっしゃるかもしれませんので、それにまつわるお話しをもう一度するのをお許し下さい。

 長崎に原爆が投下された1945年8月9日の真夜中ごろ、長崎大学病院放射線科の小笹富子看護婦たちは、ラテン語で聖歌を歌っている女声合唱を聞きました。

「苦悶の中で絶命したに違いない27人の修道女たちは、近くを流れる小川のほとりで身を寄せ合い、歌いながらこの世から去っていったのでした。」(ポール・グリン『長崎の歌』260ページ)

「その夜、一晩中美しいラテン語の讃美歌の合唱がとぎれとぎれに聞こえてきました。夜が明けてみると、学園の運動場の草むらの中に、7、8人の修道女がひとかたまりになって、手を取り合い冷たくなっていた」(瓊浦女学校『白夾竹桃の下』田崎光枝)。

 永井博士の妻である緑さんがかつて教えていた純心女子学園の女性徒たちの多くは、1945年8月9日の朝は時津や三ッ山にある工場に学徒動員で働きに行っていました。

 長崎純心聖母会の初代学園長であるシスター江角ヤスは、空襲が激しくなったころから毎日校内全員に聖歌を合唱させていたそうです。

 忌まわしい原爆で、ある生徒は即死し、生き残った者も裂傷を受けたり赤外線で大火傷を負ったり苦しんでしました。ほとんどの者が酷い怪我をしており、多くの者はそれから数日後には躯となる身でした。しかし、彼女たちは歌い慣れた聖歌「み母マリア 身も心も とこしなえに 献げまつる」を一節一節歌いながら励ましあい続けて死んでいったのです。


みははマリア(#305)

1 み母マリア 身も心も
とこしなえに 献げまつる

朝な 夕な 真心もて
君をのぞみ 慕いまつる

みめぐみこそは きよき慰め
輝かしき 君がかむり

うるわしき 君がえまい
ああ我ら深く 慕いまつる


 これの元となったフランス語の聖歌をご紹介します。この歌はもともとカナダのケベックで作られたと聞きました。

Prends mon coeur le voilà (ほら、私の心をお取り下さい)

Refrain
Prends mon coeur le voilà, Vierge ma bonne Mère
C'est pour se reposer qu'il a recours à toi
Il est las d'écouter les vains bruits de la terre
Ta secrète parole est si douce pour moi.

-1 -
Que j'aime de ton front la couronne immortelle
Ton sourire si doux, ton regard maternel
Mère plus je te vois, plus je te trouve belle
Et je viens déposer mon coeur sur ton autel.

- 2 -
Tu le sais inconstant, hâte-toi de le prendre
Peut-être que ce soir il ne sera plus mien
Il me faudrait pleurer pour me le faire rendre
Oh! cache-le bien vite et mets-le dans le tien.

- 3 -
Et puis si quelquefois je te le redemande
Oh! ne me le rends plus mais dis-moi dès ce jour
Dis-moi que tu ne peux accueillir ma demande
Que je te l'ai donné, qu'il est tien sans retour.

- 4 -
Rends-moi pur à tes yeux, donne-moi l'innocence
Un bon coeur pour t'aimer et ton sein pour dormir
La foi, la charité, la sublime espérance
Tes vertus ici-bas, un beau jour pour mourir.

- 5 -
Quand mes yeux obscurcis baisseront vers la tombe
Quand ma lèvre aura bu le calice de fiel
Donne-moi pour voler des ailes de colombe
Et viens me recevoir à la porte du ciel.


みははマリア


 私たちはマリア様に私たち自身を奉献します。「身も心も とこしなえに 献げまつる」!

 何故なら、私たちの主イエズス・キリストが、人間となられた最初の瞬間から、全てを聖母マリア様に委ね、捧げられたからです。

 キリスト者とは、キリストに倣うものであって、本当のキリスト者は全てを子供のように聖母マリア様に身も心もとこしなえに献げなければなりません。

 日本と世界の平和のために、天主の御母聖マリア様に、敵を赦しつつ、1945年8月9日の夜、ラテン語のグレゴリオ聖歌とカトリック聖歌を歌って亡くなっていった童貞様(シスター)たち、女学生の乙女たちに、感謝します。

 私たちも、日本と世界の平和を作った、このラテン語のグレゴリオ聖歌とカトリック聖歌とを大切に歌い継ぐことを約束します。

 私たちは、秋田の巡礼の時にこれをよく歌いました。

みははマリア!
花咲香る天の御国へたどる道をてらしたまえ!
花咲香る天の御国へ!


 天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

 聖母マリアよ、ああ我ら深く慕いまつる!
 聖母マリアよ、身も心もとこしなえに献げまつる!
 聖母マリアよ、真心もて君をのぞみ、慕いまつる!
 平和の元后よ、この汚れし我らの身を、清めたまえ!
 平和の元后よ、天の御国へたどる道を、照らしたまえ!
 平和の元后よ、罪あるこの身を、守りたまえ!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 6.3.2.未開地を巡回して

2010年06月24日 | ルフェーブル大司教の伝記
未開地を巡回して

  ローマからずっと彼に付いて来ていた数冊の本を全て後に残し、この元教授は1938年の5月、ンジョレに到着した。

 聖務日課書ともう一冊の祈祷書、ロザリオ、腕時計、そして自分の下着の他は手荷物として何も彼は携えていなかった。それが会則だったのだ。

 名目上のミッションの長上であり、サンタ・キアラ時代(1925-1928)の元同窓生であったアンリ・ネラン(Henri Neyrand)神父が、休暇で不在だったのでその間の一時的な代わりとして代理を務めることになっていた。

 他ならぬ自分の生徒であった助任司祭のフランソワ・ンドン神父に男児寄宿舎の世話を預けて、マルセル神父は広大な区域の視察を開始した。公教要理の巡回区域は8日間の行程ほど離れていた。彼はララ(Lara)に向って北上しアバンガ(Abanga)川とサムキタ(Samkita)に至るまで西へ向ったのだ。川を丸木舟で、あるいは起伏の激しい小道を徒歩で進んだ。最年長の生徒たちは手荷物である食料と旅行用のミサの道具を運んでくれた。

 村々において、“カトリック信徒たちは彼のことをその優しさ故に敬愛したが、それは彼が天使のようであり、多くを語ることはないが、人々に笑いを与えていたからだ。”

  しかしながら彼は忍耐を必要としたのである。ある日、彼は遠方の村からンジョレに到着したある使者に出会った。この男は言った。
「神父様、どうか急いで某村まで来てください。年老いた誰々さんが死にかけているんです!」

 これは本当なのだろうか?この村は4時間も離れた所にあったのだ。それでも、マルセル神父は一言も口に出さずに直ぐ自分の持ち物を用意すると、丸木舟に乗って出発したのである。彼は急いでこの遠距離を進み例の村に到着した。

「死に掛けている老人の誰々さんは何処ですか?」
その時、本来臨終にあるはずの男が出てきたのだ。
「ここです神父様。ただ、私は病気じゃありませんよ。ただ貴方に会いたかったんです。」
マルセル神父は冷静であった。しかしこの優しい叱責の言葉を何時もの穏やかな口調で述べる事だけは出来た。
「アルベール!やっぱりですか、ふざけていますよ . . . 」

  依然としてパウワン族はかなり遊牧民であり、彼らの移動は注意深く見守られなければならなかった。その結果、公教要理の巡回は彼らの移動に応じて変動したのだ。マルセル神父はファン語を自由に操る力を向上させた。さらに“彼はすでにファン人になり切っていた”それほどそれを巧みに話したのである。カトリックの宣教師たちより先にオゴウェ川沿いに赴任していたプロテスタントたちとの激しい論戦 の中にあるカテキスタたちを支援するため、彼はファン語で“誰でも読める”という意味のOlle Langという題の小冊子を配布した。そこには“ルターが聖書を盗み出していた事”と“彼独自の私的な教会を作ろうとした事”が説明されていた。  

 時折、カトリック信徒とプロテスタン信徒たちが丸木舟に乗って川を渡る時には、“異端者!異端者!”という叫び声がよく起こったものである。それについてマルセル神父は言っている「【これを見て分かるように‐訳者】少なくとも私たち側の部族民は、自分たちがカトリック信徒であること位は分かっているのです。」

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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