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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 6.4.1.波乱に富んで短くされた休暇

2010年06月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅳ. 休暇―宣戦布告―徴兵


波乱に富んで短くされた休暇


  マルセルは自分を故国へと連れて行く船に乗り込むや、驚いた事に、船上で自分の同僚であり子供時代の友人でもあったエミール・ヴェリーユ(Emile Verhille)神父と出くわした。この司祭はコンゴ・ブラッザヴィル在住の宣教師であり、彼も休暇で故国に向うところだったのだ。戦争の噂がますます多く聞かれるようになっていた。

「私は、『即刻、戦闘状態にない最寄りの港に引き返せ』という非常事態レベル3の警告を今し方受信しました。」と船長がこの二人の司祭に知らせた時、一行はちょうどシエラ・レオネ(Sierra Leone:西アフリカ西部)に近づいていたのだ。そういう訳で、彼らはフリータウンに停泊した。事実1939年9月1日には、ドイツ軍がポーランドに侵入しており、イギリスとフランスはポーランドへの約束を守り、同月3日になってドイツに対し宣戦布告したのである。

  船は、しかるべくカムフラージュされ、ダカールに向けて出航可能となったが、2人の司祭がダカールで船を降りる時、自分たちが徴兵されているという通達を受け取った。マルセルは独り言を言った。

「ダカールで徴兵だ? とんでもない!ここにある砂漠に残るだって? 冗談じゃない!とにかくフランスへ戻ろう。もしも私たちが戦争に行かなければならないなら、行きましょう、ただダカールではない所に!」
  「これから私たちはどうしましょうか?」とヴェリーユ神父が尋ねた。
  「出発しましょう。どうあがいても私たちは徴兵される事になっていますが、ここで徴兵されないようにしましょう!」

 それから2人の友は、元いた船に再び乗り込んだ。誰にも見られずに、知られずに。

  5、6隻の客船からなる船団が形成され、数隻の軍艦によって護衛された。船が何隻かモーリタニア(Moritania)沿岸で既に沈められていた事もあり、この旅路は危険を伴った。しかしやっとの事で一行はボルドーに到着したのである。マルセルは直ちに徴兵され、そこに1ヶ月間留まった。これは、ドイツが攻撃してくれるのをフランスが待っていた【いわゆる‐訳者】“まやかし戦争”(drôle de guerre)の時期だったのである。フランスの人々は布告した戦争を信じていなかったし、総司令部も全体の攻撃についての計画など一切持っていなかったのだ。

  マルセルがしばらく滞在する事になる修道会本部に到着すると、植民地に在住するフランス人は(よって宣教師たちも)そこで徴兵される事になると言明した政府の指令を耳にして安堵した。 マルセルはガボンへ戻れるように、この指令の適用の申請書を作成したのだ。

 10月半ば 、ピンク色の在植民地徴兵カードが彼のところに届いた。それからすぐ、彼は家族と1ヶ月を過ごし、自分の父親と最後の面会を果たす事が出来た。

 それから、他にいる9人の聖霊会の司祭や聖霊女子修道会のジョゼファ修道女と一緒にボルドーで船に乗り込んだ。 こうして、3ヶ月に短縮され波乱に富んだ休暇の後、船はマルセル神父をガボンまで連れ戻したのである。

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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