トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

胎海への一滴に…

2017-03-25 | 感じるままの回り道
 森が海を豊かにするという関係は、ようやく知られてきたけれど、フイールドに居続けても実感としてはないのが現実である。
 水辺の手入れに赴くと、春には水中の落ち葉が葉脈だけになっているのが見られる。以前はこれを見て「栞」や「容器の模様」に使えそうだと思っていたのだけれど、このごろは妄想意欲も衰え「綺麗だ」で終わる。

 考えてみれば葉脈だけになった原因は微生物の働きによるもので、これが結果的に森からの豊かな水の一滴として供給されるのだと知れば、たかが葉脈だけのボロボロの葉であってもなんとなく愛おしく感じる時がある。まあ、感情失禁が多分に入って「歳」なのだろうか、それともわが身に置き換えて「よう脈がある…」と感慨に浸っているのか判然としないが、この環境を見れば「灌漑」は、この冬もとど氷、いいえ、とどこおりなく機能したのが実感される。
 表題に「大海」でなく「胎海」を使ったが「大海」では生命の源、揺り籠のイメージが湧かない。