「昔々、お爺さんは山へ柴刈りに行きました」なんて童話の始まりがあるが、今は柴などは誰も必要としてくれない。持ち去ってくれる他人もいないから見えるところに置いても減る事は無く、小生の老いが増えるだけなのだ。
昨秋、除伐したクワの木、枝の部分は至近にまとめ乾燥するのを待っていた。片付けはせず朽ちさせても良いのだが草刈り作業の邪魔になるので放置も出来ず集積した。葉も落ち適度に重量も減って生木より移動させやすい。
とは言え運ぶ時の労力減を図りたく細かくしなかったから運びにくかった。落葉広葉樹は枝が暴れているので扱いにくい。細断すれば嵩も減るのだけれど、このまま朽ちさせるだけの粗朶に手間暇を掛けたくないのが正直なところである。
二か所分を半日仕事で一カ所に無事集積し、日射の届かない陰地であっても最中は汗ばむ。作業が終われば急速に冷えがやって来る。こんな時に「エネルギーの総和は一定である」なんて物理で習ったフレーズが浮かぶのだが、まあ、どうでも良い事で「今日、お爺さんは山の柴片付けで生きました…。」えちごさってもうしたもうしたチャンチャン。
民話語りの最後の決まり文句「エチゴサッテモウシタモウシタ」と記憶していたのは後に語り部が「越後ではそう申しましたとさ」と言っていた文句だった。これもどうでも良い事で、二度わらしの繰り言だが、そう、民話や童話の読み聞かせは繰り返しが大切なのだが、二度わらしがやると繰り言になる…
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昨秋、除伐したクワの木、枝の部分は至近にまとめ乾燥するのを待っていた。片付けはせず朽ちさせても良いのだが草刈り作業の邪魔になるので放置も出来ず集積した。葉も落ち適度に重量も減って生木より移動させやすい。
とは言え運ぶ時の労力減を図りたく細かくしなかったから運びにくかった。落葉広葉樹は枝が暴れているので扱いにくい。細断すれば嵩も減るのだけれど、このまま朽ちさせるだけの粗朶に手間暇を掛けたくないのが正直なところである。
二か所分を半日仕事で一カ所に無事集積し、日射の届かない陰地であっても最中は汗ばむ。作業が終われば急速に冷えがやって来る。こんな時に「エネルギーの総和は一定である」なんて物理で習ったフレーズが浮かぶのだが、まあ、どうでも良い事で「今日、お爺さんは山の柴片付けで生きました…。」えちごさってもうしたもうしたチャンチャン。
民話語りの最後の決まり文句「エチゴサッテモウシタモウシタ」と記憶していたのは後に語り部が「越後ではそう申しましたとさ」と言っていた文句だった。これもどうでも良い事で、二度わらしの繰り言だが、そう、民話や童話の読み聞かせは繰り返しが大切なのだが、二度わらしがやると繰り言になる…
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