水路の環境保全用に太目の杭を50本ほど作り掛け矢で打ち込んできたら翌朝にはやはり腰痛が復活してきた。折よく小春日和の予報だったから縁台工作には最適だろうとフイールドは休んで工作三昧の一日としたのだ。結果的に外出は無いので頼みの湿布も使い切って無い。
先日の事、孫が身長より長い指編みの作品を編みながらテレビ電話で披露してくれた。授業か学童クラブで教えてもらったらしいのだが、見せつけられると二度童としては対抗心がふつふつと湧き上がる。この際、年長者なんてことは頭から消えて全く同年齢になってしまうのが二度童の所以でもあろう。
それでもそこはそこ、ああだのこうだのより歳の功と言うではないか。老眼・乱視でもウオノメよりはましだし経験値だけは優っているはずで光頭レベルアップは不問にして妄想熟慮してみた結果、指編みに道具を工夫できたのである。これではすでに「指編み」とは言えないものの「平編みと筒編み」両方が可能で中断・再開も容易に行える。
まずは真竹で筒編み器、桐板で平編み器を試作してみる。基本的には太糸を使い摘まんで編み上げる事を条件にしたのだが細くなればかぎ針だって使えるだろう。
昔、流行った「リリアン編み」はかぎ針を使ったのかどうか記憶には無いけれど今回は指編みの延長線上の編み器なので「摘まみ掬い上げる」事が前提だ。
真竹でのプロトタイプは掛け針は7本で平編み器は5本にしてみた。どちらも掛け針を増やせばビッグサイズは可能な理屈だけれど試作品としては妥当だろうし、要は「編めるかどうか」の確認なのである。
編み器を使った指編みは指に絡めて編む本来の指編みより糸を取りにくい感じもしたが、指先の巧緻性や根気強さや集中力を狙った教材にもなりうるはずである。こういうところに「歳の功」の厭らしさが出て来る。遊びなんてものは「楽しい・面白い」で終始しなければ本末転倒になりかねない。

下の写真、下側の編み器がプロトタイプをプレゼントレベルまでに品質を上げて製作した物だ。筒編みの場合は編み目の変わり様は無いけれど平編みの場合「往復編み」と「本指編み」で行っている「一方方向編み」で編んでみると編み目の粗さに違いが出て来た。
平編みの写真で先端部と途中とで編み目が微妙に変わっているのが分かるはずである。「どっちがどう⁉」というより好みや使い方で決まるのかどうか、小生としては作品を作るまでの熱意は無いがイベント用に「編み器」を幾つか製作してみるつもりだ。
その量産型や幼児向けともなると省力化や安全性を考慮する必要があるのだが腹案は既にあるので更に試作して現物確認すればよい。桐材はたまたま頂いたのを使用したが軽いしよく手になじむ。強度が必要な部材でも無いから桐材使用は合格だった。木材でなく下敷きやプラ板などで一体成型すれば、それはそれで簡便容易かもしれない。