トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ネザサの刈り払いは「育成刈り」

2023-02-01 | 今日は真面目に
 隣の保全グループの勢力範囲なのだが見かねてネザサ刈り払いをしてきた。前日の1月月例会は休耕地を水田にするための刈り払いだったのだけれど小生は先んじてフイールド内の繁茂してきたネザサをまずは刈り払ってからにしたのだ。
 ネザサの刈り払いは根絶できないから抑制程度の意味合いしかないけれど春秋の二回は地際から刈り続ける必要がある。その春のネザサ刈り払いのシーズンなので田んぼの刈り払いなど作業順位から言えば後回しなのだ。ネザサは地表を髭剃り状態様に痛めつけて刈り払いたいのでいきおい、春の植生が萌芽する前に行っておかねばならないし秋季は必要とする植物が種子を散布できる頃合いを見ながら被害が及ばないようネザサを狙い撃ちするのが何時もの手順である。

 しかし他の保全グループの活動も同様、「まずはネザサ刈り」という姿勢は無く草地にしておきたい範囲の植生を坊主刈りにするのが通例、いいえ痛例で我がグループも草原として創出した部分から刈り払われるし逆に人の入らない辺縁部や斜面・林床部などの刈り払いはしない傾向が顕著だ。まあ、端的に断ずれば「環境保全や生物多様性維持」なんて姿勢や概念さえも無いという証明でもあり環境保全と言う観点より「人のため、あるいは見てくれ重視」といっても過言ではないだろう。さらに言えば「農地」と「保全地」の区別もしない。
 これらあまねく「坊主刈りが信条」という作業では「生物的廃墟」を創り出している破壊活動だと言う認識には至らない作業者の現実には手を焼く。

 考えてみると「刈り払い」と言う表現や括り方にも原因があるように思えて来た。「刈り払い」という表現では「里山保全活動」や「環境保全活動」での作業の意味合いさえ表せない。こう言う用語では「生物的・植生的廃墟」を促進するだけであって、公園やグランドの芝地維持や水田の際刈りとは全く異なる認識での作業が必要なのに一括一語で済ましている現状に問題の根深さがある。
 特定のネザサやフジ蔓シュートなどを狙ったのは「刈り払い」に違いないけれど、通常の高刈りや選択刈りなどを小生としては「刈り払い」は使わず「育成刈り」として今期からフイールドで使う事にした。「里山保全」や「環境保全」等々、一言で言ってしまうけれど既に里山は生活の中で維持形成される環境では無いし新たな考えと行動が必須なのであるから行政・識者もそのことを汲んで構成し言い換えた言葉や文を発信するべきではないだろうか。高齢になり耄碌も進めば世迷い事も多くなる。