GITANESを吸っていたら治りが遅い(ような気がした)。
それとは無関係に・・・。
まだ5歳か6歳のころ、珍しく母親が風邪で寝込んだことがあった。
オヤジは出勤し、家には兄と姉と私がいた(夏休みだったと思う)。
誰にも何にも言わないで、遊び盛りの兄は毎日家を自転車で
飛び出していき、夕方まで帰ってこなかったが、
この時ばかりは
「あのなあ、遊びに行ってもいいかな?」と、姉に声をかけたらしい。
遊びに行きたいけど、母が寝込んでいるのでいつもの調子では
出かけにくかったようだ。
姉は、
「でも、結局遊びに行くんやけどな。」と笑っていた。
そうか、兄もこういうときは気を使うのか と感じた記憶がまだ
鮮明に残っている。
兄はあまり身長が伸びなかったがスポーツは得意だったようで
いろいろやっていた。
私は6歳も年下だから、兄の日常を兄の口から聞いたことはないが
周囲から伝わってくる情報によると、運動神経はよかったようだ。
その上どういう訳か(と言ったら身内ながら失礼ではあるが)モテたようで
普通に風邪で寝込んでいるだけなのに、花をもった女の子が見舞いにやってくる
という衝撃的な場面も見た。兄が中学生だったと思う。
長屋の小さい古い汚い家に持ってくるなよな・・・と思った。
学業もそれなりにはできたようだ。少なくとも私よりは兄(も姉も)は
成績もよく、問題行動も皆無だったようで
私が中学校に入学してからは兄や姉を知っている教師に
「おお、あの○○の弟か!そうか、おにいちゃんおねえちゃんは
よくできたのに・・・。」と何度も言われた。
高校も上二人と同じ学校に行ったので
「あの○○の弟か。うーーーん、兄貴や姉はよくできたけどなあ・・・。」
と比較された。
まあこれは兄や姉が特殊だった訳ではなく、普通だっただけのことだ。
私が劣っていたのだろう。
「お前の兄貴は金髪になんかしなかったぞ!」なんて叱られ方もあった。
そんな比べられ方を日常的に受けていたが、とくにそれで性格がねじ曲がった
という訳でもない(ねじ曲がってはいるが、そのせいではないだろう)。
まあ世間は何かと比べたがるもんだ ぐらいに思っていたので
何と言われようと何も感じていなかった。
6歳離れているからかも知れない。
もっと年齢が近かったら、ある種のライバル心なんてものもあったのだろうか。
とにかく、兄と姉と私はまったくべたべたしない関係の子供時代を過ごし
そしてそのまま現在に至っている。
兄は彼が26,7歳のころ、脳に腫瘍ができて大きい手術を受けた。
学校の教師だったが2年ほど休職した。
仕事に復帰してからはたまに体調が悪くなったりしながらも
普通に仕事も日常生活も送ることができ、結婚もして子供をふたりもうけた。
後遺症と思しき状態が50歳まえぐらいからひどくなり
入退院を繰り返していた。
ここ2年は気道を切開して呼吸器をつけていたので声も失い
寝たきりになっていた。
意識はあった。唇のうごきでコミュニケーションを取ろうとしていた。
そういえば、まったっく会話がなかった兄と
少しばかりではあるが会話を始めたのは、兄がここ数年前から体調を崩して以降の
ことだ。
頭痛がひどいが、病院へ行くことを渋る兄を説得し
大きい病院へすぐに向かうように説得したのも私だった。
どういう訳か奥さんの言うことも聞かないが、私の「病院へ行け」には
従った。
その兄が2日前に亡くなった。
兄は献身的に世話をする家族を開放したかったのかも知れない。
見守られるよりは、見守る方を選びたかったのだろう。
すーっと、表情を変えることもなく亡くなったそうだ。
私が病室に到着したのは臨終の2分後だった。
結果的に心配事が一つ消えたと言えるのだろうが、
それが「良いこと」にはならない という心境をうまく表現できるような
語彙を、まだ私は持っていない。
ひと月ほど長引いた私の風邪は、
やっと治った。
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