GITANES嗜好者はにおいだけ残したい。
それとは無関係に・・・。
ケータイ、とくにスマホの普及に伴って、画像だけではなく
ムービーも身近なものになった。必然的に音声もそうである。
私の動画も私の音声も、私が知っているものも知らないものも
複数存在するだろう。
それが自分の死後も残るというのはいいことなんだろうか?
と考えることがある。
死んでしまった後のことなんか、自分にとってはいいことでも
悪いことでもなく、どっちでもいいことなんだが
なんとなく居心地の悪いさは感じてしまうものだ。
画像はともかく、動画や音声は消えていくのが(個人的には)いいな
と思う。
亡くなる少し前の父が、私の兄の電話に留守電を残した。
手短に用件を伝えるものに過ぎないのだが、父が亡くなった後
「なんとなく消せなくてなあ。」と兄は言っていた。
その留守電のデータと、電話帳の父の電話番号のデータを
なぜか消せないままにしていたらしい。
わかるような、わからんような心境でもある。
そして、その兄も4年前に亡くなった。
消せない父の音声が入ったままの兄のケータイは
また兄の家族が、兄とつながるアイテムとして捨てられないまま持っているのだろう。
ちなみに私のケータイには父や兄の音声データも、動画はもちろん画像も
残っていない。
ただ、電話番号はどういう訳か削除していない。
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