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それとは無関係に・・・。
 

様式  




GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

身内ではあるが、生前からまったくお付き合いのなかった方が
亡くなって、通夜と告別式に参列した。
それほど短かくもなく、長すぎることもなかった葬儀だが
座っている間にいろいろなことを考える時間は十分あった。

過去に経験した身内の葬儀、祖父祖母、伯母に叔母、叔父、
父、兄の葬儀の光景が思い出される。

身近であればあるほど、葬儀の最中に感じた違和感は何だったのか、
今日はどうして違和感を感じないのか を考えていた。

まず、「身内ではあるがまったく付き合いのない方の葬儀」では
まったく『違和感』がなかった。
これはおそらく、
「ほぼ、どんな人なのか、どのような人生・生活を送ってきたのか知らない」
のだから、違和感も何も感じ様がない ということなのだろう。
では、身近なものの葬儀に覚える違和感は何だったのか?
それは、この式以降、もう会うことがないのだという喪失の違和感でもあるだろう。
しかし、この日思い当たったのは
「身近な人(例えば父や兄)の葬儀も、こんな感じの葬式だったけど、
彼らの生活に、お経や線香や花なんて縁がなかったのになあ」というものだった。

死んだからって、いきなりお経・線香・花に囲まれた式典が始まって
これで彼らを送るのだ と言われても、
死んだ本人とあまりにも隔絶された様式で
「ほら、お前の葬式だよ」と言われても。

普段からお経はじめ仏事と密接に関わりながら生活を送っていた人の葬儀なら
こういうのはふさわしいのだろう。
でも、家族が「こりゃあ、故人には似合わんなあ」とか
「お経って、誰に聞かせてんだろう?」となんとなく感じてしまう定型葬儀というのは、
少なくとも自分が死んだときにはまったく不要のものだ という思いを
強く確認できた。


お経は要らない・坊主不要。戒名なしだから位牌なし。
焼香なし。
遺影は本人が指定したものに限る。
花はあってもいいがそれよりも、一番気に入っていた本を数冊並べる。
よく着ていた服を数点ディスプレイする。
その本と服は棺桶に入れる。

法事なし。誕生日を記念して美味いものを食べる。

これで充分だ。
知らない様式で、縁のなかった方法で勝手に完結されるのは不本意この上ない。










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