GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。
前に行ったのはいつだったかと思い起こす。
そういえばその頃は国産オープンカーに
乗っていたからもう随分経った。
父母の遺骨をクルマに乗せて高野山へ。
やっと二人揃って納骨できた。
父は16年前に亡くなった。
それからずっと我が家に遺骨(分骨分)があったのは
母が
「私が死ぬのを待って、一緒に納骨してほしい」
と望んでいたためだ。
母も昨年亡くなったのでようやくお揃いで納骨
できるようになった訳だ。
夏休み後で連休明けの平日、紅葉の前という
好条件が揃っていたので観光客も、私と同じように
納骨のために訪れた人も少なかった。
クルマは寺の無料駐車場に停め、そこから奥の院
まで歩く。
御廟の中の右手にある受付で、俗名・戒名や
没年月日、行年などを記入して納骨料を支払う。
一霊10万円だからふたり分で20万円。
そりゃあ駐車場ぐらい無料でないと、と不謹慎な
ことを考えてしまった。
読経が大体40~50分。
御廟の床には座布団はなく、板間の上に赤い絨毯
が敷かれているところに直接座る。
胡坐OKなのが助かる。
その後すぐ横の納骨堂へ僧侶と一緒に移動。
そこでも短い経(実は正確に言うとお経ではないらしい)
を唱えてくれ、それで納骨の全過程は終了した。
面倒くさいなあ と思っていた一連の納骨だったが
確実に「得難い経験」だったと感じた。
父母のため、という思いももちろんあったが
自分自身の強い「体験」が増えたような感覚だ。
ところで、納骨堂で唱えてもらった経が
どうしても気になった。
過去何度も真言宗の葬式や法事には出たことが
あったし施主として何度も経験したが、
耳慣れないような言葉、というかイントネーション
というか、まったく初めて聞くようなお経
だったのである。
あれは一体何だったのか。
気になって気になって仕方がない。
こういうときは尋ねるに限る。
金剛峯寺に電話して、電話受付の人に事情を
話し僧侶に代わってもらった。
「納骨堂の前で短く唱えていただいたものが
今まで耳にしなかったようなものだったのですが
あれは一体何なのでしょうか?」
と尋ねてみた。
電話の向こうのお坊さんは
「あ、あれはですね・・・」
略
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