GITANESの味に慣れるハードルは低くない。
それとは無関係に・・・。
大人になった自分たちが今、
「月謝や時間の心配が何もないとしたら、今からでも始めたい
習い事はあるか?」という話になった。
そうすると、共通していたのは「ピアノ」「楽器」だった。
そしてこれも共通したのは「英会話」。
そして「習字」だった。
それぞれ習い事の王道だ。
私はそもそも人に何かを教わるのが不得意だからこの先も
習い事はないのだが、それぞれちゃんとやっておけばよかった
と思わないでもない。
ピアノはそれが置ける環境になかったのでそもそもハナから
選択できなかったが、習字は続けることはできただろう。
今から習い事で生活が忙しくなるのも億劫だから
結局習字の再開も、駅前に英会話を習いに行くこともない。
「こうだったらいいなあ」は死ぬまで「こうだったらいいなあ」
で終わってしまう。
こう書くと何やら暗くてため息ばかりついているような人生で
あるように見えてしまうが、それでもたまに家の電子ピアノで、
出鱈目で自分にしかそう聴こえないはずのラプソディインブルー
を弾いているだけでもそれなりに楽しいし、元日の書初めで
「勝訴」なんて書いているのも愉快なのだから、もうそれでよくて、
あとは暇でいい。
「いやちゃんと先生に習って、ちゃんとラプソディインブルーを
弾けたらもっと楽しいんだよ」と言ってくれる人もいるだろう。
わかってる。
人生というのは、「わかってる。」けど・の連続なのだ。
それは誰もが知っていることなのだ。