年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文献があるからといって

2018年07月06日 | 福神漬

(逃げる男・活版印刷の祖・本木昌造)江越弘人著

著者の見解では本木昌造は馬田家の次男として生まれ、本木家に養子となった。実父と折り合いが悪く、明治の叙勲の時に親族が北嶋家出身として経歴を出したという。従って本木の伝記は全てといって良いくらい叙勲時の経歴書によって北嶋家出身となっているという。

 明治6年の馬田又次右衛門の80歳の祝いの席に本木昌造は参加しなかった。親族は父又次右衛門の意をくんで本木昌造が叙勲時親がいないと困るので実父を北嶋三弥太と届け出した。著者の説によると缶詰の始まりの松田雅典と本木昌造は兄弟となる。

 本木の長崎ではじめた事業は活版印刷は平野富三に引き継がれ、石川島造船所となった。新聞事業は子安峻/柴田昌吉とともに読売新聞となった。柴田は馬田家の出身である。

長崎・横浜・築地は福神漬から見ると面白い展開となる。なお小安は大垣藩出身。横浜高島嘉右衛門の姉は一時大垣藩主の側室だった。

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