長崎で本木昌造に近代的な活版印刷技術を教えたのは中国でキリスト教布教のために聖書を印刷していたウイリアム・ギャンブルです。横浜開港資料館で7月16日まで(金属活字と明治の横浜)という展示会を見に行きました。現物を見ることは写真や文章より理解が早いが現実には活字製造用語が理解できず、ただ見るだけとなった。こうなったら中央区の文化財となっている平野活版印刷機を見るしかないだろう。
明朝体活字の源流が中国にキリスト教布教のための印刷物を作るために活字が作られたようだ。長崎から築地・横浜で活字が普及拡大していった。色々な字体の変化もあるようだ。大量印刷に耐える活版印刷文化も今では消えつつある。その後写植と言う技術であったがこれも消えてしまったようだ。ここ数年のデジタル技術の発達は近代と呼ばれる時代を10年でふた昔の過去にしてしまった。来年平成が終わり、昭和はふた世代の昔となる。
漬物と印刷技術は縁遠い存在かもしれないが無縁と言うことはない。築地の周辺に印刷の歴史が存在する。