年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

未来予測物という本

2024年05月16日 | 宅老のグチ
明治維新後の事から福神漬を調べていく内に、日本の書物業界には何年後の世界という本のジャンルがよく出て来る。例えば100年後の世界では、遠くの人と会話できるとか、空を飛べるとかがあった。もちろん今でも実現できないものもあるが、希望を持たせている。その中で今でも実現できないのが、平和・死なない、錬金術が頭に思い浮かぶ。
 間も無く実現しそうなのが、韓国サムソン社のスマホの多言語同時通訳。これはかなりのインパクトのある製品だが、韓国製なので日本の話題には出てこない。オープンAIによる進歩が激しく、普通の、旅行会話がスマホで済む時代が来そうだ。そうなると多言語の対応となり、外国人観光客が日本の地方に進出となることもありうる。
 今までの日本はアジアを除くと、日本語の取得の難しさと、英語を話せる人の少なさで、地方の隠れた観光地の秘密保持が出来ていた。ところがスマホ動画で日本の様子が動画で知れると、距離と英語を超えて日本に行きたい需要が出てきた。これはコロナの後遺症でもある。外出できないので安価に海外旅行できるのが動画である。
 日本では常識だがスマホは女子力から流行が進む。今は円安で、日本は女性が一人で夜に動ける国と知れてしまった。また子供が一人で買い物しても児童虐待とならない国でもある。逆に銭湯という風呂文化がドンドン欧米化し、異性の人が他の性の銭湯の湯に入れる年齢が下がってきた。そのうち、入れ墨と混浴規制から、風呂に入る時、水着や湯あみ着の着用制度も出来そうだ。日本文化は激安から変わる。ヘイトの人達がいくら騒いでいても底辺の仕事は異国人の世話にならないと、安価な野菜と介護を受けられない。ヘイトの男生が日本人老婆の介護女子より、ぴちぴちの外国人契約看護女子との介護を楽しんでいる老後が見えそうだ。彼らはいずれ本国に戻って、高齢化の先進国の知見を活かして、祖国の介護の幹部となる姿が見える。
 明治日本は未来の姿を欧米に行き、そこでの知見で日本を変えていった。戦後の日本はアメリカをみて、改革した。共産中国は日本の欠点を研究し、急速に近代化した。タダ研究しなかったのがバブル崩壊の後の気持ちの変化と思われる。共産中国の日本研究者は日本人との付き合いで、高学歴の人しか付き合っていなかったとおもう。それゆえバブル崩壊後に低所得者が極端に節約生活になることを知らないようだ。過去の35年間は政治家がいかに景気浮揚策をしても、日本の中小企業の労働者は政治に騙されないで貯蓄する。給付金を出しても、消費に回らず、貯蓄が増える。これは敗戦後の世界を記憶に残している。
 未来は予測で過去は記憶にある。それも悲しい記憶であるが、。生き残った記憶でもある。あの世には貯金は持ってゆけないが、いつ人生が終わるか知らないため、貯金は使えない。
 ポツンと一軒屋強盗で犯人が捕まった様子だが、農家の現金保有が少ないことに驚く。多分思うに農協と郵便局に預けているとおもう。自給自足の地方農家は、贈答の世界で消費税が発生しない、少ない世界であることを知るべきだろう。それだから5万円でいきて行ける秘密があると思う。
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天使は去って行ったけれど

2024年05月15日 | 宅老のグチ
行きつけの動物病院で老柴犬の死後の処置をしてもらい、9年間お世話になったお礼と雑談した。余命宣告から3か月の期間、ほぼ介護に明け暮れ今は虚脱感がある。転居した家の選択で老柴犬の健康問題で便利なところを選んだ。それが死ということで今のところの家にこだわる必要性が無くなった。丁度借家の更新期だが次の家の条件が決まらず、取り敢えずの更新という決断をした。次は高齢者への貸し渋りを予想できる家探しとなる。家族の健康歴から新規の医者探しは避けたい気持ちがある。
 東京都新島村に観光に行きたいが新聞報道で全国の介護保険料の高額地となっている。その説明を聞くと人口の割に高齢者が多く、支える人が少ないため高額となる。これではドミノ倒しの様に過疎地の高齢者は切り捨てられる気がする。地方の実家の一戸建ては賃貸需要も少なく、資産が不動産から負動産となり、越後湯沢のリゾ-トマンションの様に固定資産税は高いが、買い手不在で処分に金銭が必要となる。タレント松本明子系不動産となるのが必至と思われる。このことから最近の傾向で東京の子息が地方の義両親を東京に住まわせ、東京の介護保険を使っていく傾向が見えるという。早めの実家処分は相続を簡単にする。松本明子さんの実例で親と自分の想い出の処分は時間がかかる。一番簡単なのが転居ということと今は思う。地方の両親の安否を確認する費用が消えるし、孤独死していたら、後々親族で大問題となる。
 高齢者の認知症の発症は避けることは出来ないが、今の医学の進歩と治験で遅らすことが出来るようだ。法整備の必要も感じるが、天使の火葬を依頼していた時、自分が高齢者なので癒しを支えてくれた犬をもう飼うことは出来ない。恋とかペットのロスは次の恋とかペットを再度飼うことで癒すことが一番安易で有効であることを知っている。しかし犬といえども生きさせる費用が掛かるし、愛犬となって馴染んでしまうと、飼い主が事情(特に亡くなった時)で手放す時、と殺処分となることが考えれれる。酷いのは野山に放置することだろう。そのため、犬の火葬場で引き取り手を探している掲示があった。どこかで高齢者の最後の介助犬というシステムで介助犬の老後を確保する仕組みがないのだろうか。動物の医療保険で特約で飼い主の不慮時のサービスの特約が出来れば、高齢者の認知予防の需要があると思う。
 ペット霊堂の施設で多くの家族の癒しをしていた状況が感じて、自分のロスを抑えることが出来る。生き物を飼うことは自分の命を問うことになる。
 さらに不思議なのは一応霊堂は仏式なのだが宗教は問わないように見える。他の宗派のペットの扱いはどうなっているのだろうか。八百万の神の国では普通の宗教と見る世界が異なるように見える。
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検疫の本から

2024年05月14日 | 宅老のグチ
「新型インフルエンザ等感染症が令和5年5月8日から「5類感染症」になり1年経過したとテレビで放送していた。このことから検疫系の本を借り出して読むと、明治の不平等条約のうち、検疫権が比較的早く、明治12年に確立されていたことが解かる。それはどうも妥協でもあったようだ。
 感染症の本を読んでいると、近代ということから大航海時代から飛行機の時代で世界が狭くなり、未知の感染症が日本にやってくる。ところが日本は海に囲まれていて、他国の感染症は港といわれるところから感染が始まり、人の流れによって広まる。さらに医学知識のある国と無い国との誤解も広まり、政治経済を動かす。
 日本住血吸虫症という病気は、一応国内では絶滅した病気のようだが世界には残っていて注意が必要という。この病気が日本という名称がついているのは日本人が発見したからで、患者数は今でも2万人を超えるという。ついでに川崎病というのも、初めは神奈川県川崎市の病気だと思っていたら、医師の川崎先生が発見した病気のようだ。
 コロナが無ければ読まない本と思うがまた知識が増えた。でもいつかは役に立つ気がする。マスク着用が解除されてもまだマスク姿が多い。例外は外国人観光客で徐々に日本の風情が消えて、普通の国になりそう。
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月曜は新聞休刊日、夕刊は取っていない

2024年05月13日 | 宅老のグチ
月1回の新聞休刊日。夕刊は取っていないので最近の報道でドンドン夕刊の休刊が増えている。特に人口の減っている所は広告も同時に減っていて、地方紙の人員削減も進んでいて、日本の地方紙で1県に2地方紙もずいぶん減っている。これは個性の劣化の進行でもあって、例えば東京の流行りの食があっという間に全国のフ―ドコ-トといわれるショピングセンタ-に出店し、次の食迄生き残る。そこでの飲食需要が地方食文化を弱体化する。この極端はアメリカの例を見ていれば次の日本が見える文化が2000年まで続いた気がする。いまは日本食ということで大量生産、セントラルキッチンなどのアメリカ風から、日本風にいいとこどりの食に変わりつつあるが、基本はまだ安さの方が勝っている。
 新聞は諸経費の値上がりで安さを強調している所はすくない。しかし、無料紙というのがあって広告で賄う新聞もあった。昔ニュ-ヨ-クタイムスという新聞の週末の新聞は100ページ以上あって、ほとんど広告という。今の日本で新聞の土曜は蛇足の夕刊と思う。これなら金曜夕刊を広告と観光案内で土曜の夕刊を中止したほうが良いと思う。土曜夕刊で宣伝しても日曜の天候では無駄となる気がする。金曜夕刊の増大号は土日の購買力の消費の方向を指針となる。地域の商店広告、求人等の広告もあるだろう。金曜夕刊だけはコンビニ等でも販売し、激安であれば定期購読の道もある気がする。さらに金曜夕刊はネット情報の真偽の検証も売りとなれば良い。ネットは量が多くてもゴミと宣伝・自己の意見の主張が目立つ。アマゾンや食の感想もやらせや、競合店の嫌がらせのコメントがシバシバ見える。夕刊記者は検証記事の記事という分野もある気がする。
 雨の月曜に出る気もなく、老柴犬の介護の合間に思ったことを書いてみた。
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免疫力の劣化・老化を感じた週

2024年05月12日 | 宅老のグチ
瞼に痛みを感じたので眼科へ行った。診断の結果はイボのようなものが3個あり、様子見でレーザ-による削除もできるという。問診表に緑内障と書いたので、診察すると眼圧が23という。機器の進歩が感じる。健康診断で20年前から緑内障の様子が見えていて、医師の判断では進行が遅いので無治療で過ごしていた。ところが視力の違和感があって診察の結果少し緑内障が想定以上に進んでいるようだ。それで眼圧が下がる薬で2週間様子見となる。なぜ放置していたかと言うと運転免許の5年更新で眼鏡使用で更新前に眼科で検診を受け、緑内障の検査をしていた。
 昨年は帯状疱疹が出来て、皮膚科へ行くともう治りかけという。この病気は幼少時に感染し、高齢になって免疫力が落ちた時に発症するという。今家人が帯状疱疹の発病中で、ほぼ赤くなった所が消えつつあるがなにか後遺症があるという。やはり帯状疱疹のワクチン接種は必要と感じる。ワクチンは発症を抑えることは出来ないが後遺症のひどさを軽減するようだ。視力、聴力と体力の劣化を感じる。今の一日は老柴犬の介護で家族が従事しているのでこの介護が終わると虚脱感が出るだろう。
 老化というものは日々の変化で記録を残しておかないと、劣化に気が付かない。それでもおかしな数値があって、全般的に髪の毛が薄くなっているのに耳と眉毛の伸びが目立つ。歩行速度が落ち、水たまりを跳び越す気力が消えていることに驚く。さらに100段の階段には一気のぼりをためらいエレべ-タ-を選択する。都営の地下鉄が昇りのエスカレ―の設置はあっても下りは少ない。
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有馬男爵は 虎に翼

2024年05月11日 | 宅老のグチ
虎に翼を何気なくみていて、急に有馬男爵が出てきた。当然ドラマだから、事実のそのままにはならないので何かの意図があると思える。有馬男爵と入力すると、競馬の有馬記念の有馬 頼寧が出て来る。この有馬家は福神漬の文献探しにわき役としてしばしば出てきて気になる人物だった。
 砂糖の日本史を調べていた時、静岡県の.森町出身の鈴木藤三郎の経歴から、彼が晩年住んでいた富士山麓の土地‣不二農園の経緯を調べに、静岡県裾野市の中央図書館というべき鈴木図書館へ行った。この鈴木という名称は鈴木藤三郎と関係ない人で、図書館で郷土資料の所で文献を探した。そこで見つけたのが温情舎小学校の本だった。
 今は聖心女子大系列の不二聖心女子高となっている。あまり気にしなかったのだがある時、地下鉄日比谷線広尾駅で降りると、目の前に学校の広告があって、不二聖心女子高の写真もあった。広尾駅は都立中央図書館への最寄りの駅で良く利用していた。今はシルバ-パスなので、たまに乗るのは広尾からの都バスとなる。
 温情舎小学校を作ったのが岩下清周であった。 彼は大阪の北浜銀行の経営者だった。日露戦争後の不況で失脚し、友人の世話で融資先の不二農園の株を与えられ、不二農園を余生の仕事として経営していた。この農園で働く人の教育のための温情舎小学校を設立した。
 後にキリスト系の病院も関係してくる。この病院はキリスト系の神山復生病院といって、民間のハンセン氏病の人達を受け入れていた。なぜか気になって、この病院の記念館を訪問した。ここはイルミネ-ションで有名な御殿場高原 時之栖(ときのすみか)ホテルに近い所で今は普通の地域病院となり、終末治療のホスピス病院となっている。岩下清周の長男岩下壮一が何代目かの院長をしていて、その時の日本のマリ―テラサといわれた井深八重という看護師が戦後にナイチンゲール賞を受賞している。(貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。)この井深八重は京都の同志社女子を出て、教員になるための時期にハンセン氏病の疑いのある症状が出て、親族からも迫害され、誤診となっても、社会復帰できず、悲惨な状況の患者を見捨てられず神山復生病院で看護師として働いた。同志社女子の同級生が有馬 頼寧の所で行儀見習いの時に見初められ、愛人関係を求められたが、正妻で無いと愛人関係を拒否され、有馬 頼寧がワザワサ御殿場近郊の病院に勤めている、井深八重に会いに行って説得を試みたが、失敗した。この経緯を『恋と伯爵と大正デモクラシー』という本で読んでびっくりした。今は御殿場線は東海道線が熱海のトンネルが出来るまで本線で有馬 頼寧が途中下車して訪問したのだろう。
 虎に翼での有馬男爵はハンセン氏病裁判の伏線の設定になるのだろうか。福神漬の関連の歴史を調べてゆくと脱線調査となって、本筋に行けないこともあるが常に資料・記録がない故、脱線も楽しみとなっている。年末の中央競馬の有馬記念の有馬は有馬 頼寧さんの事をいう。
 静岡県裾野市桃園の不二聖心女子高の前身となる温情舎小学校には校歌があって作詞が小林一三で作曲が宝塚歌劇団となっている。これは岩下清周の部下だった小林一三との関係だろう。小林一三には阪急百貨店の大食堂での福神漬の逸話が残る。当時の下層民の百貨店で贅沢の夢を見て、大食堂で白米のごはソ-ス・醤油をかけ、ただの福神漬で1食する。これを小林一三が容認した。
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犬にも認知症があって

2024年05月10日 | 宅老のグチ
老芝犬の認知症で家族が介護疲れになって、交代で雑用をこなす。処理案件の中でヤマザキパンの春のパン祭りのフランス製のお皿を収集したポイントシ-ルとの交換があった。そこでス-パ-のサ-ビス係で頼むとお皿が品切れという。家人の言うことには5月18日までなので交換が殺到しているというので、別の量販店に行くことになった。そこにお皿交換だけだともったいないのでついでに耳鼻科によって耳垂れ治療の薬をもらいに行った。診察室で待っていると難聴と認知症の関係があるという本が見えた。
朝のニュ-スで高齢者の7人に1人の認知症という報道。どこか他人ごとの等でこの新聞を手にして、認知症関連の煽り政策と、認知症保険等の勧誘もありそうだ。さらに警察の免許返納誘導も想定できる。
 ただ世間の人は実感していないが不動産関連は今後はマンション自体の高齢化と、住民の認知症問題で様々な決め事が難しくなる気がする。認知症は特に売買等の問題であとで裁判沙汰を避けるために厳密となっていて、普通の庶民には縁が無いと思うが、今の家庭裁判所での相続の争いは相続税の課税金額以下の人達の争いが多いという。高齢者が自分の定期預金等の解約も認知症だと出来ない銀行もあるという。従って暗証番号を忘れ、再設定する時本人確認時に認知症だと認められないようだ。従って普通人の時の様に暗証番号を忘れると認知症では大ごととなる。家族が引き出ししていても、3回間違えると再設定となるので、2回まで間違って良いが3回目はメモを見て入力したことがある。
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カップラ-メン指数-貧困食・デフレ食指数を考える

2024年05月09日 | 宅老のグチ
 良く外国為替でビックマック指数というのがある。ビッグマック指数(The Big Mac Index:BMI)は、世界的な経済誌『エコノミスト』が、年に2回発表している経済指標です。ビッグマックは世界の多くの国で販売されていますが、材料や調理法などがほぼ共通で、基本的に同じ商品です。そこでビッグマックを基準にして、各国の物価水準や為替相場を比較しようというのがビッグマック指数なのです。  この辺りは日本食が普及しつつあっても、地域に合わせた食を提供するという日本の食企業の様子から、指数にはならない気がする。ただラーメンチェ-ンの一蘭の行列の国際性から、一蘭指数というものが出来るかもしれない。
 あるニュ-スで不景気になると、外食が減り、家庭で作った食事を職場へ持ってゆくのが増える。この様に手取りの収入が減ると貧困者が節約する。そうなると動画で見ることが出来る中国の今の景気状況を表す、ショッピングセンタ-内の飲食店の混み具合で、高級店が閉店していたり、閉店舗が目立っている。さらにサイゼリアのような低価格飲食店が中国でも賑わっている様子が見える。さらに不景気になると自宅での飲食となる。そこで景気分析者がカップ麺の出荷数量が不景気分析に役に立ちそうだという。
 食の世界で軍隊と病院食が一番コストが安いと聞いたことがある。学校給食で補助金を除いた金額は安い。ただ給食を一般向けに出すと、食堂が成り立たない。食は毎日同じものを食べると飽きが来るし、それに食事の後に満腹感があって、食欲が消える。このことが多くの食を生むことになる。
 1ドルが160円になりそうだが、輸入インフレに食の世界は抵抗するように思える。高齢者の運動量の少なさと、基礎代謝カロ-リ-も少ないので、江戸時代のような一汁一菜食に向かう気がする。コメ関連の食材は日本産が多く、為替相場に動かされない。
 国民年金だけの高齢者はどの様なやりくりをしているのだろうか。実質賃金が24ケ月減っているというデ―タでは読めない生きる知恵があるようだ。消費税の発生しない、贈答生活が賃金の格差のある地方で増えている気がする。自給自足と相互の物々交換なら消費税は発生しない。家庭内介護も経済の統計範囲外だろう。
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戦後の10年と維新後の22年

2024年05月08日 | 宅老のグチ
自分が生まれて間もない時期はうっすらと記憶があるが変化の激しい時代だった。GHQの問題から、いろいろ戦後の過程の歴史を知るが本を読んでいて混乱もある。特に朝鮮戦争の始まりが、どちらかが仕掛けたかの論争があった。これがソ連の崩壊で北朝鮮がソ連と中国との了解のもとに侵攻した文献で今は論争が下火となっている。
 この時期の出来事は維新後の明治憲法が成立するまでと似ている感がある。今歌舞伎はコロナ後の対応で低迷期に入りつつある。観客の高齢化と世界に通じる物語が出来ていないと感じる。下記の本で
誰も「戦後」を覚えていない 昭和20年代後半篇 鴨下信一著
 戦争が終わって割と早く、歌舞伎が復活したという。しかし東京の劇場は空襲と米軍の接収で、上演できる劇場が一つしかなく、本格的に復活したのは東銀座の歌舞伎座の再建からという。この復活の力となったのがアメリカ人の歌舞伎通うの人だった。舞踊劇と弥次喜多の喜劇から始まった。昭和29年の春日八郎のお富さんがミリオンセラ-となったのは、唄を聞いていた庶民が歌舞伎の内容を知っていたからという。
 戦後の歌舞伎の復活にGHQの検閲があって
1 仇討、復讐のある作品は上映禁止  日本人の米軍に対する復讐心を恐れていた。
2 封建的な忠誠を美化する作品も上映禁止。
3 死・残酷・悪を美化するもの禁止
このことから戦前の人気作品がほとんど上演が出来なくなって、舞踊とか喜劇とで戦後は始まった。特に菅原文伝授手習鑑の寺子屋の段が上演禁止で、歌舞伎関係者はうろたえた。
戦前の解釈で寺子屋の段は『せまじき物は宮使え』というのが上官の理不尽な命令にも従うということを戦後に解釈の読み替えで上演にたどり着いたという。このことは明治の初めの歌舞伎の改革で実録物を求められ苦労した市川團十郎を思い出す。江戸時代の歌舞伎に馴染んだ東京の人が薩長の要求と合わせる苦労が見える。

 時代の変わり目は旧制度に馴染んだ観客と新時代に旧制度の不慣れの人達の文化戦争でもある。その戦争は時間が経つと、ほぼ確実に若者に負ける。ただ例外は宗教演劇しか残らない気がする。新宿のテント芝居で一時代を作った人が亡くなった。昭和の戦後の証言者が急速に消えている。
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虎に翼での監獄法が出てきて思う

2024年05月07日 | 宅老のグチ
虎に翼で明治の監獄法が出てきた。維新後の日本の政治課題は国内の安定と、徳川の時代の条約の改正問題であった。その内容は検疫権・領事裁判権・そして関税自主権であった。明治の20年ごろの条約改正交渉が洩れ、ひと騒動となり、とん挫した。普通の歴史書ではこのようになるのだが、福神漬の成立とその普及の経緯を調べてゆくとその後ろに隠れている旧幕に親しむ人たちの無念さと、強引に薩長の政権の正当化の歴史事実を作ろうとする勢力に対抗する言論機関の存在が見える。
 福島県郡山出身の石井研堂が明治事物起源を著わした。その中で缶詰の始まりという文章で福神漬の事が書かれている。この文章は島原の乱、北方領土、四谷津の守、箱館戦争、お雇い外国人、フィラデルフィア万国博覧会等の文言が入っていて、さらに文言の検証を行うと誤記が多く、これでは日本缶詰協会として文献とはならないとみなされ、日本缶詰協会の日本缶詰史ではコラム扱いとなっている。たた千葉県銚子市などは銚子の缶詰業の所で引用されている。今の日本で福神漬が常時缶詰入りで販売されているのは池之端酒悦の福神漬である。

 条約改正で日本での捕縛時の衛生監獄の状況が問題となっていた。捕縛時の拷問と長期拘束が自白の強要を招いていた。未決状況で留置所内で病死するものが多く、外国の懸念材料となっていた。条約改正のために監獄の整備が条約改正の必要条件となっていた。そのため監獄法を出されると拷問・自白強要が問題となる。
 虎に翼は明治大学の話であるが、明治大学には刑事博物館があって、そこには江戸時代からの責め具、拷問の用具の展示がある。さらに西洋の刑罰の展示もある。その法学部の重要な先生は
尾佐竹 猛(おさたけ たけき)
Takeki Osatake(1880-1946)
大審院判事/明治文化研究者/日本史学者
 明治時代の文化研究の人である。福神漬を調べてゆくと明治10年代の政治問題とその後ろに隠れて比喩となっている刑罰・拷問問題がある。拷問と言論自由からテロへの誘惑があって、さらに弾圧に対抗する行動が弾圧の法整備を促進してゆく事が知るようになる。その頂点が日清戦争の圧勝と言うことでの傲慢さが出て来る。本来は日清戦争は台湾の反乱制御迄見るべきことだけれど、当時の記録からは講和条約で終わりの様になっている。台湾征討戦から昭和20年の敗戦の始まると見ることが出来る。このことを予知していたのは勝海舟と福沢諭吉だった。
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天気良くても動けない

2024年05月06日 | 宅老のグチ
連休は老芝犬の影響で、予定が消える。最も動けないことを予想していたが、実際に介護補助で動けなくなると現実を知る。テレビの報道番組も観光地の混雑で、家から動けない人の外出を煽っている気がする。嘘や誇張の多い報道も天気予報だけが結果検証があって、予報の精度を確認される。秘密の多い北朝鮮の天気も宇宙から見るとはっきりわかる。グーグルア-スで世界の地図を眺め、天気予報も見る。ウクライナの報道が消えつつあって、どの辺が次の激戦地になるのだろうか。
 動ける人と動けない人の差が連休で判る。動くと交通費がかかるが東京都の70歳以上の高齢者はシルバ-パス利用で安価に都内を移動できる。それでも格差があって、浅草周辺の住居が一番高齢者に便利な気がする。地価から考えると銀座の方が価値あると思えるがシルバ-パス利用と考えると、都営交通の電車の便は浅草が一番の土地である気がする。日暮里に都バスで出ると舎人ライナ-を利用できるし、浅草線蔵前駅で大江戸線に乗り替えると都庁迄行ける。やはりバスより電車で終電が遅く利便性の差を感じる。まだ確認していないが晴海フラッグの都バス等の始発・終バスは何時なのだろうか。
 築地にいた時、JR新橋駅の始発が4時台で、乗り合いタクシ―が動いていた記憶がある。仕入れの顧客は都バスの始発に乘って、築地市場へ向かう。このバスは魚の臭いが付いているバスだった。JR新橋から汐留貨物駅の外周を回って築地市場まで早足で15分ほどかかる。さらに場内迄数分で渋滞を避けていた。大田市場が出来て、混雑が減り、記憶が薄れる。
 5月連休の青空は記憶にあって、暗い気分の記憶が残る。暗い事しか記憶に鮮明に残るのはなぜだろう。楽しいことは多いはずだが残っていない。どこかで生きるためのリセット機能か上書き機能が動いている気がする。
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知らないで良いのに長寿で知った不都合

2024年05月05日 | 宅老のグチ
 実母の介護で100歳まで生きてしまったのが、想定外だった。若いうちは平均寿命まで支援すれば良いという計画でいた。ところが小さな病気があったくらいで長生きとなった。それには早くして亡くなった夫のストレスが無いことと、経済的自立があったことだと思う。厚生年金をかけていて、そこから夫の死で遺族年金が支給された。さらに母子家庭となって、そこの手当も入った。良く年金は若い人はあてにならないので国民年金を未納とする考えがある。しかし未納の理由を届けておけば後にお金が入った時追納できるようになった。未納の時に身体障碍になると障害年金が支給されない不都合がある。特にバイクの事故は重傷が多く、障碍者になりやすい。
 実母は最後は子供の顔を忘れるくらいの認知症となった。そこで認知症の不都合なことも知るようになる。認知症の不都合とは法的な行為を行うことが難しくなり、後で否認されることもある。土地の境界画定の依頼をした時、雑談で苦労話となった。境界画定は行政の立ち合いと、接する土地の所有者の立ち合いが必要となるので、日程調整がむずかしいという。さらに立ち合い者が海外だとほとんど不可能に近い。今長引いている案件は10年以上の物もあるという。認知症で亡くなるまで待っているという。そこで後見人制度があるというと、境界画定で後見人を使うと、後見人へ毎月の支払う金銭が生じ、亡くなる時まで変更できない制度のようだ。そのため認知症が増えても後見人制度はあまり使われていない。このことはデイサ-ビスを監督するケアマネ-ジャ-に広く知れ渡っている。国会ではこの制度が一時的な後見人を選べる法案を用意しているという。多くの行政の法律は知識のある人たちの援助会となっていて、後見人の発足時は法知識のない人達の支援として始まり、いまは認知症の人達の財産を長生きさせ、自己の顧問料の長期安定化を狙っているように思える。介護で顧客はどちらかを考えなければならない。子どもの日は毎年少子の記録更新で老人の日は増大の記録の日でもある。日本は超高齢では世界の断トツの最先端へ向かっていて法整備を世界が注目している。特に長寿は認知症は避けられない。適切な介護は誤嚥性肺炎の可能性を減らすが、食事の時の介護人が多数いる。それゆえ介護費用が高額となる。このこととから、高齢者施設と後見人が結託した時、どのようになるかまだ誰も知らない。お客様満足度1位という言葉が高齢者施設の宣伝で使われた時、誰が検証できるのだろうか。施設に入っている老人のお客様は認知症で満足度は言えない。
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引きこもりの-5月連休

2024年05月04日 | 宅老のグチ
5月の青空の下で引きこもり。老柴犬の介護補助。犬の付近で食事をしていたら、嗅覚だけが元気でいきなり立ち上がり、外へ出す。この繰り返しで、徹夜の過労気味となっている。
 普通のTV各局の連休情報で密かに感じるのは、テレビ各局のスタッフの困窮が見える。給与が上がる割合が低いのが見えるのに、そこでテレビ局の下請けスタッフのシブチンの消費が見える。何か企画案が途切れた時、築地場外と動物の企画が多いと感じる。様々な経費が少ない所が安近短の築地で、日々忙しいし、芸能人が来ていても、多すぎてタムロするのは観光客だけとなる。そこに巻き込まれると、顧客の対応時間が過ぎてしまい、無駄な残業になる。それでも初めて築地来た時は気になる。

 食の世界でも何か今の豊洲は異常のようだ。旧築地市場の再開発でも、70年の定期借地なので、いずれ東京都の土地に戻る。築地の移転で結果として、数千億円以上の経費が掛かったが、動かしたほうが勝ったと言える。人の命は短いが行政の命は長い。
 東京都のドーナッツ化現象の始まりを感じる。元気な都心の大会社と外国人観光客は中心部を占拠し、そこに働く下層都民、清掃・警備等の仕事で都心から離れられない人がド-ナッツの穴の部分の生活維持をする。その外を普通の日本人が住む。多くは単身で、家族住まいは通勤時間1時間程度になる。
 前ほど感じないのだが9時から始まる事業所が減った気がする。4月から始まった労働者の残業規制はどう変化をもたらすのだろうか。次は配送料の無料ということの規制と思われる。タダで荷物が家に来ない。それをどう表示するかだろう。タワマンのデリバリ-で時間がかかるところと戸建ての1階と同じ配送料ではおかしい。距離・配送時間・労働時間で料金が変わってゆくしかない。人手不足は改革の動機となる。
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続悪魔の飽食の川辺村

2024年05月03日 | 宅老のグチ
郡山へ行くJRの電車内と、乗り継ぎ時の待ち時間で、森村誠一の中国黒龍省ハルピンにあった日本軍731部隊の細菌戦争の本(続悪魔の飽食)を読んでいた。
 敗戦後にGHQの取り調べで、今は731部隊が何をしていたかは概要が知れ渡っている。戦時中に埼玉県春日部市付近の農家がネズミの繁殖をし、軍に納めていた。この農家によるネズミの繁殖が埼玉県立庄和高校の地暦部の本で自分は知ることとなった。
 ネズミは実験動物のため今でも継続的に繁殖させている。

森村誠一の本では、昭和25年埼玉県北葛飾郡川辺村で川辺村試験動物飼育組合という名の協同組合が発足した。この試験動物組合の飼育動物はモルモットだった。特攻した叔父の出生地が川辺村であったので気になって、電車内と乗換え待ち時間で一気に読んだ。叔父の生家は農家でさらに製茶をしていた。昭和27年頃から、夏になると今の山村留学の様に川辺村に東京から預けられていて、モルモットを飼育していたことはなかった。この本の事実関係は見たことが無いのだが、庄和高校の本からモルモットの繁殖と飼育を行っていたと思われる。実験動物の会社の中間搾取が酷く、農民がGHQに経費の調査依頼して、その結果の文献が国会図書館に残り、飼育組合の内容解明が出来た。
 GHQは敗戦後間も無く731部隊の調査をし、そして今の司法取引なようなことを行い戦争犯罪に目をつぶり、中国での研究が米軍に引き渡らせた。一番の被害者は敗戦後に撤収処理の不手際で、731部隊の研究所から病原菌が流出したように思える病気が蔓延した。
 中国は朝鮮戦争の休戦会談中に、昭和27年2月22日に国連軍による細菌散布攻撃に抗議した。日本の報道では2月24日朝日新聞の一面下段に小さい記事がある。当時の記事は昭和27年の予算と講和条約の国会承認と行政権の返還の論議のようだった。この様なことから森村誠一の本が1981年に出されるまで、731部隊の話は国民は知らなかった。



 こんな話があって、地元では戦争の話が意図的に話題から消えたのだろうか。
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5年前の5月から令和が始まる

2024年05月02日 | 宅老のグチ
令和の年号が始まって5年となる。5年前は連休が長すぎて、リタイアを控えていて、バタバタしていた記憶がある。
 日本でのコロナ感染の始まりが2020年1月からなので、この時は祝賀の気持ちの連休だった。つまり翌年からコロナの自粛気分の3年でようやく5年目の今年が気分一新の春となる。桜の開花も気分に合わせて4月の開花で一新の4月となった。
 雨の30日にこの5年を寝ながら思い出す。知覧での叔父の慰霊祭に初めて参加する。1月より連休時とリタイア後の人員の確保に動いた。そこから九州に行くため航空機の手配となるが、犬の世話をどうするかという問題が出て、ペットホテルの検討をしたが、以前に飼っていたモルモットが旅行に行く時にホテルに預けたら、戻った時には激やせしていたことから、ホテル案は却下となり、九州は1泊となってしまった。
飛行機のチケットも鹿児島のとんぼ返りでなく、熊本経由で九州新幹線で鹿児島中央駅という日程で、地震で壊れた熊本城を路面電車内でみた。おおよその熊本の印象は水のきれいさで、水前寺公園を出た排水路でコイが泳いでいた。
 知覧で慰霊祭は動画で見るのと別の印象がある。閲覧回数を稼ぐシステムは、動画の編集で加工されている。実際の遺族の乗る送迎バスでの漏れ聞く遺族の参加者会話は70年以上の歳月と無言のむなしさのバス時間。
昼前に知覧の慰霊祭会場について、午後の慰霊祭迄を付近を散歩したり、5月連休の観光地となった特攻記念館を訪問していた人たちを眺めていた。70年以上の時間が経つと、もう歴史となりつつあることを実感する。
陸軍将校たちの戦後史  -「陸軍の反省」から「歴史修正主義」への変容-者名 角田 燎
 この本は最近出版された本で、靖国神社の宮司も陸上自衛隊幹部の経歴の人になり、陸修偕行社と4月より組織名も変わった。時代の変遷を知る。先の戦争を忘れつつあるが遺族は何年たっても遺族で時期によって、思いが変わるということが前記の本で知る。自分は叔父への戦後の対処の検証(なぜ叔父の記録がないのか)はまだ緒に就いたばかりと考える。今年は知覧には行けないが80年の来年は行きたいと思っている。そこで一応遺族の立場から離れる位を(叔父がなぜいかなければならなかったのか)調べ尽くしたい。
 他の陸軍特別操縦見習士官の1期生で他の1期生の士官より叔父は6ケ月の訓練期間がひと月短いのに、特攻の隊長となった叔父が軍隊で何があったのだろうか。今でも理解しがたい。
 知覧の慰霊祭は毎年5月3日の午後に開催される。

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