年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

団塊の世代が生まれた昭和25年の平均寿命

2024年05月30日 | 宅老のグチ
虎の翼で戦後の風景を見ていて、裁判官が配給だけで食し、餓死したことがあった。調べると亡くなったのが戦後まもなくというより、1年半後の昭和22年10月だった。なぜ戦争の翌年に死ななかったのは敗戦時に本土決戦と言うことで、食料の備蓄があって、軍隊の食が盗まれたり略奪され、一時的に食が確保され闇市となった。さらに治安維持機構が混乱していて、暴力支配の時代だった。この時期に多くの子どもが生まれていて、今は団塊の世代と言い、年度によって240万人ほど生まれている。そこで国勢調査のあった昭和25年の平均寿命を調べると、60歳程度で、男性が59.57歳で女性が62.97歳という記録がある。当時の子どもが60歳程度と平均寿命が見なされていたようだ。ここから年金計算の根拠となったのだろうか。今は寿命が当時から20年ほど寿命が延びて、多くの心の誤差を生んでいる。
 ここに少子が加わると、自分の生きていいない世界がおぼろげに想定できる。多分多くの日本人は75歳の年齢で日本の社会が政治.経済..文化を含めて.教えなかった、知らせなかったことに驚く気がする。今はブログということで多くの75歳以上の高齢者が現状を書いている様子が見えて、仕事を離れ、迫りくる死におびえることなく、生きて痕跡を残そうとしている。先行きは衰えていく身体はいつ介護認定から始まり、または法的責任からの介護に付き合うしかない。
 この件で与野党の無責任政党は憲法改正を9条の問題でさぼっていて、本当に必要なのは憲法改正で安楽死の法制度の確立しかない。病院・介護者・当事者・医学者等による死の認定組織の設立が望まれる。免許証の検体シ-ルを貼っていても、救急車要請で個人の意思は無視され、虚しい治療が継続される。知り合いに脳死状態で3か月に一度の転院で生かされていた人を知っている。この状態で生きている家族は生活をおびえていた。見舞いを拒否されていて、すでに覚悟をしていた。それでも実験の様に生かされ、転院させられていた話を聞いた。75歳以上の高齢者の脳死は一種の虐待か医学者の人体実験の動物の様に感じた。
 当事者でないのでなぜ治療継続をするのか聞くことが出来ないのでもどかしい気分が残る。100歳で亡くなった母の死はほっとした部分もあった。やはり100歳は節目の年て、日本の政治家は希望すればだれでも100歳まで生きれば貯金が無くても特別な老人ホ―ムに入れる制度が必要と感じる。どうも刑罰の拘禁刑はこの先端を行っている犯罪者の老人ホ―ムの様に夢の中で思った。刑務所から出て、すぐに軽微な犯罪で刑務所に戻る生活を現実ではあるということを知るべきである。これは特養より入所しやすい施設と思うようになってきた。認知症なら刑務作業は軽い。リハビリと思う人もありそうだ。
コメント
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