ヤポネシアンレゲェ

新しい日常を追い求めるギター弾きホワイト教授のゆるゆる人生散歩日記。目指すは架空のリゾートミュージックアイランド。

博物館自体が博物館入りの名護

2019-02-08 09:04:00 | やんばる
未だに謎の名護市。




沖縄自体がそうであるが、取り立てて何かを生産しているわけてはないが、人口だけは多い名護。

ホームセンターと図書館とパン屋さんへ行きたい時、おでかけする名護。

つい最近までは、映画館もあったそうだが、カルチャーらしき匂いがしない、がカレーの匂いのする名護。

旧市街を車で通り掛かると、赤提灯やタイカレーの看板に釣られ、ついつい散歩してしまいたい気分になるけど、那覇の賑やかな。公設市場裏とは大違いな名護。

ジャズやレゲェのライブハウスがあるが、やってんのかどうか良くわからない人の気配のない、名護。

唯一、中古楽器屋とサブカル系も扱う古本屋が各一店づつあるが、新刊書店にはレココレもギターマガジンもなく立ち読みできない名護。



そんな名護市の旧市街にある、博物館へ初めて行って来た。
清村勉という建築家の企画展があったから。


市営市場から、5分も歩けば到着する。
この辺り、どこもかしこも一歩裏路地へ入れば廃墟の街を歩いているような気分になれる。
昔は、この辺りが中心街で、こじんまりと栄えていたのであろう。

近くの馬鹿でかいヒンプンカジュマルもスゲーが、ここの入り口のカジュマルと、ど太いフクギもとってもディープオキナワンな雰囲気で、いとステーキ。そういえば、名護の食堂で食ったステーキ定食、かたかったなぁ、700円也。

ギャラリー以外は整理日で入れてないが、入り口売店辺りからして眩暈がするほどレトロな匂いが充満していた。このまま保存したい、、、





コンクリート建築自体にはあまりひかれないが、関東大震災以降に盛んになったらしい内地よりも先に、沖縄で盛んだったのはうなずける。極悪なシロアリや猛烈な台風を考えると、木造はやはり躊躇したくなるだろう。

庶民の住宅は、戦後アメリカーの影響でブロック積み、そしてコンクリートへと変化していった。




沖縄へ来て建築の勉強をした時、初めて知った大宜味役場庁舎。
まだ、手探り状態のコンクリート建築なのに、見た目も含めて素晴らしいものをつくった清村さん。


沖縄で現存する最古のコンクリート建築。
風には六角形が良いらしい。
清村勉さんが、手を振っている。

手掛けたのは学校や役場など、公共の建築が主であったが、72年本土復帰に伴い沖縄振興開発の金のせいで、沖縄の戦渦を免れた貴重な建築物が次々と立て替えられてしまった。

清村の建築した校舎は、風が良く通るように工夫されており、開口部が広く、天井に熱気を抜けさせる穴が開けられていた。
立替のために解体された鉄筋には全然錆が入っていなかったそう。
逆に、そのころ新しく建てられたコンクリート建築は、セメントの砂を良く洗ってないので、塩が残っていて鉄筋が錆びて危険ということで今や有名。当時も今も目先の欲に駆られて、何も学んでいなかった沖縄建築業界。仕事がなくなるから丈夫なものを作る気がないのか??




さて、沖縄としては有名なオリオンビール工場が博物館のすぐ隣りにあるが、最近外資と本土企業に買収された。ここの見学コースは最高!(要予約)無くならないことを祈るのみ。






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