誰かに称賛されたくて命を懸けているのではない
どうしても、そうせずには、いられなかっただけ
その瞬間に、選んだことが自分の魂の叫びだっただけ
自分ではない、誰かのために、、、
本当はテネットを観たかったが、時間が合わず、仕方無く子供と渋々観た映画「鬼滅の刃」
しかし、まぁ悪い映画ではなかった。というか、記録的な数の大人や子供が観ているという事実は、このヘタレだらけの世の中において良い傾向だとも思った。
で、後々になって、セリフがクサくてベタでダサいこのアニメがたまらなく愛おしく思えるようになってしまった。
決して死ぬことのない鬼に立ち向かう、いつかは滅びゆく人間の愛と希望の物語なんだけど、
少ないパイを奪い合う現代の資本主義社会禍の人々(自己本位、上昇志向)を「鬼」と見立てると、評価を気にして生きているのではなく愛(利他的)のために生きる「人」(ここでは煉獄杏寿郎)の様々なセリフがグッとくる。どんなに悪の道に誘われても、価値基準が違うとはっきりはねのけるのだ。
「鬼」は、菅でも竹中平蔵でも、保身の事しか頭に無い会社の上司でも、勉強しないと負け組になるぞと囁やく親でも何でも当てはまる。
煉獄が、鬼に永遠の命を得るように誘われた時、返したセリフがたまらない。
出典:鬼滅の刃,第8巻,第63話,吾峠呼世晴,集英社
「何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうと鬼にはならない!」
ところで、、、残酷なシーンが多かったり死を美化するのはけしからん、と、親の意見が上がっているのを耳にしていたが、
コレってどうなの?というのが竈門禰豆子の竹製サルグツワ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/6c/5dd15d1bc3e3b4480431dae3ac42b067.jpg?1604965234)
色紙と輪ゴムで、何故かとーちゃんの分まで作ってくれました
「サルグツワなんて、特殊な性癖の人だけがやることでしょう!」と、学校とかで言ったら、逆に他の親御さん達にドン引きされること間違いなし。
さてさて、ここからが本題。鬼滅の刃では、敵味方の区別なく死の直前に走馬灯が描かれる。
映画では、煉獄杏寿郎が幼少期の母との会話が出てくる
「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者はその力を世のため人のために使わねばなりません
天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません
弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です
責任を持って果たさなければならない使命なのです
決して忘れることなきように
母はもう長く生きられません
強く優しい子の母になれて幸せでした
あとは頼みます」
たまたま、この映画を観終えた後に、村上龍の小説を読んだのだが、これが凄かった!初の内面探求作品で、村上春樹とも少し違った味わいの作品でした。まさに走馬灯がいくつも回って目が回りそうというか、、、
長くなるので、またの機会に。
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