水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

6月17日

2013年06月17日 | 学年だよりなど

 学年だより「箱入り息子の恋(2)」

 「たいした大学を出ているわけでもなく、出世もできないヤツに娘をまかせられるか」という父親の言葉には、反論することができなかった。
 実際に何の野心もなく、このまま波風を立てず今の部署で勤務し続け、一生独身のままでいいと思っていたのは健太郎だったから。
 しかし、父親が菜穂子の気持ちを全く考えてないように見えることは、ほおっておけなかった。
「菜穂子さん自身のお気持ちはどうなんですか?」
「あたしは、ただ気持ちが合う人と一緒にいられたらいいかな、と。障がいとどう付き合うかは、その後と … 」
「君が口をはさむことではない、この子がつまづいたり、壁にぶつかったりしたことを、君は見たことがあるのか」父が言う。
「お嬢さんに同情してほしいということでしょうか。」
 自分の意志を相手に伝える  健太郎がもっとも苦手としていることを今しようとしていた。
「僕は障がいを持っていませんが、欠点なら山ほどあります。こんな見た目なので、女性もよってきません。 … 今井さんは、誰かに面と向かって笑われたことはありますか? 変な人だと言われたことは? 見た目や、服や、就職先で、ヒトは値踏みされてしまいます。そんなランク付けをするのは、目が見える人だけです。今井さんが見ているものと、お嬢さんが見ているものとは違うのではないでしょうか。」
 熱弁する健太郎を、全身に怒りをこめて見返す今井。すべては終わったと健太郎は思っていた。
 二人は、しかし、父親に内緒でつきあうことになる。
 つきあうと言っても、健太郎の昼休みの時間にあわせて菜穂子が母親に車で送ってもらい、一緒にお昼を食べるのがデートだ。
 最初のデートでは、吉野屋に出かけた。二回目は立ち食いそば。
 誘導してくれる健太郎の腕につかまると、その緊張ぶりがひしひしと伝わってくる。
「そこ段差あります」「もう一段」「自動ドアです」「カウンターの席で7割ぐらい人が入っています」「ここでは、みんな立って食べています」
 視力を失って以来、親の言うとおりに生きてきた菜穂子が、はじめて知る世界だった。
「みんなお行儀悪いですね」
 はははと、健太郎の笑う声が聞こえる。誰かが自分のそばで笑ってくれる。
 楽しかった。誰かと一緒にいて楽しいということが、本の中ではなく、自分の身に起こると思っていなかった。
 気持いい風の吹く日、いつもの公園で待ち合わせた二人は小高い丘に登る。
 健太郎の腕にではなく、手をつないで歩くようになっていた。
 健太郎さんはどんな目をしているんだろう、どんな顔で笑うんだろう、そう考えると久しぶりに目が見えないことがくやしかった。
 健太郎から「僕は、菜穂子さんのことが、好きです」という言葉を聞いたとき、気がつくと涙が頬が伝っていた。

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