「ビジネスは疎外感から生まれるんです」
さいたま市文化センターへと、ホール練習の打ち合わせに向かう車のなかで、神田昌典氏の講演CDを聴いていた。
そのとき、耳に飛び込んできたことば。
何? そうなの?
疎外感? やる気とか、夢に向かう力とかではなく。
だとしたら、文学とおんなじじゃん。
小説とビジネス書は対極にあります。人はね、つらい日々を過ごしているときは小説コーナーに足が向きます。でも元気なときはビジネス書の棚に向かう。ま、ほんとにノってるときは、本屋さんに行かないもんだけどね、なんて話を、小説を扱うときによくする。
「人生は思うようにならない」ことを描くのが小説で、「夢は叶う」ことを述べるのがビジネス書なのです、小説ってそういう「暗い」もんなんだよって。
ビジネスも、その原動力になるのは「疎外感」だったとは。
考えてみると、そうかもしれない。「組織における疎外感」か。
「自分の居場所はここではないかもしれない」という思いがなければ、飛び出して新しいことをやろうなんて人は思わないものです、という言葉に深く納得できる。
「怨念」とか「なにくそという気持ち」とかと、そのクオリアは同じなのだろう。
何事かをなしとげようとする人の心には、たしかにそんな深い思いが、どろどろとした情念がありそうだ。
「思い」がなんらかの「アイディア」を生む。
それがたまたま小説に結実する場合もあれば、新しい商品の開発になる場合もある。
どの表現媒体を採用するかは、その人の個性が規定する。
そういえば、浅田次郎の傑作短編「角筈にて」は、彼が『蒼穹の昴』で直木賞の候補になり、受賞確実と言われながら取れなかった翌日に書いたものだという。
「なんかちがう」「なぜか寂しい」「悔しい」「せつない」「自分には足りないものがある」 … 。
そういう気持ちは、マイナス思考として排するのではなく、心の奥に大事にしまってエネルギー源にしていくものなのだ。
じゃ、いっぱいあるよ。
直伝「主人公の心情をつかむ」三か条!
一 3点セットをおさえやがれ
「事件・出来事→心情→行動・セリフ」の3点セットを意識し、心情そのものは書いてなくても、事件と行動からのはさみうちで、極力整合的に読み取ろう。
二 対役の働きを意識しやがれ
李徴に対して袁(さん)は対役。主人公の苦悩を際立たせるために存在するのが対役の働き。だから対役は必ず世間を代表する存在だ。世間の価値観、世間の常識に相容れない度合いの強さが、主人公の苦悩の強さになる。それを描くのが近代小説だ。
三 風景・小道具に気をつけやがれ
すべては作者の「つくりごと」である。雨を降らせるのも、悲しい音楽を流すのも、灰皿を置くのも、蜜柑の実がなっているのも、すべては作者が、主人公の心情を説明せず感じとってもらうために書かれている。これを「象徴」という。
こういう事件「だから(→)」こう思った … 因果
対役・世間「に対して(←→)」主人公 … 対比
風景と「同じ(=)」心情 … 同値
と考えられるので、評論文で筆者の言いたいことをつかむやり方と基本的には同じになる。