水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

明日本番

2013年06月21日 | 日々のあれこれ

 木曜日の昨日、「笑ってこらえて見た? 男子校吹奏楽やってたね」的な言葉を誰かにかけられるかと思ってて、「K校さんには負けませんよ」みたいな言葉をかえそうと思っていたが、誰も何も言ってこない。本格的に友達いなくなってきたかと思いつつ、帰宅したあと録画したのを観たら、安城学園さんだったのね。
 名門だ。軽やかで美しいサウンドを普門館で何回か聞いたことがある。「青銅の騎士」の入ったDVDはずいぶん勉強させていただいた。
 顧問の先生が変わられていることを昨夜まで知らなかった。それに、去年は全国に出てなかったのか。そういえばそうだった。
 「ダメ金」。東海大会で金賞が6校、うち3校は全国大会に進めない。それを「ダメ金」とよぶ … 的なナレーションがついていたが、金賞にダメをつけるなんて、吹奏楽の世界だけだろう。
 東海大会に出場してて「ダメ」とかつくなんて。
 埼玉にもたしか「金賞」ってあったような気がする。修飾語もつくんだっけ。

 なんとか君というCLの2年生(なまえ忘れたのでA君にしようか)が、曲中のソロに抜擢されるシーンがあった。
 名門校は、ちょっとしたドラマがいくらでもころがっているのだろう。
 合奏中に、CL1番の子をひとりずつ吹かせてみる。それをブラインド審査させる。
 部員がみんな後ろを向く。つまり誰が吹いているかわからない状態になってそれぞれの音を聴く。
 そして何番目がよかったかをその場で手をあげさせる方式だ。
 コンクールメンバーのオーディションでこの方法をとる学校さんもあるが、なかなか厳しい選抜方法だ。
 上手になること、上手であることへの正しいあこがれが成立していないと、後でしこりを残す危険性がゼロではない。
 うちには、まだ無理だな。ここ最近は実質オーディションなしで全員レギュラーだし。
 かりにソロ決めでも、自分にはできないかな。
 先生がA君にソロ吹かせたい空気は、映像を見ただけでも伝わってきた。
 もし自分だったら自分の権限で指名してしまうだろう。ここはAが吹け。指揮者のおれに誰に文句を言うなよ、と言って。
 そしたら、仮におろされた上級生が不満をもっていても、内心で顧問を恨めばいいから。
 ブラインドでみんなに評価されてしまうと、つまり客観的に「下」と言われてしまうと、先輩としてはつらくないだろうか。
 いやいや、そんなレベルでうじうじしているようでは、本当に上手にはなれないのだ。
 この厳しいレベルを目指さないといけない。でもあの方法はとらないかな。
 ていうか、今のうちだと、ブラインドしたところで、誰が吹いてるかはバレバレだろう。
 
 放課後、いつも通り集合して、ルーティンのメニュー、個人練習、明日の係の打ち合わせ、合奏、楽器積み込み。
 ある学校の先生が見学にこられていたせいか、いつもよりちょっとだけ集中力のある日だった。
 あれかな、先生にはじかかせないように、返事ぐらいちゃんとしてあげようぜ的なやさしさが働くのだろうか。
 明日は、今年の初めての人前での演奏だ。

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6月20日

2013年06月20日 | 学年だよりなど

  学年だより「箱入り息子の恋(3)」


「アマノさん、やりますよね、昼間っから、公園でどうどうとキスしてるなんて」
 うあぁあ、見られてた … 「いや、あれは、その … 」
「で、ヤったんれすかぁ?」 「え?! … い、いや、あの … 」
「なぁーんら。ヤってないのか」 「なんなんですか! 一体!」
「もしかしてぇぇ … 童貞!?」 やめてくれぇえ。健太郎は心で叫んでいた。
 同僚の女性職員から「ごはん行きましょう」と声をかけられ、二人で回転寿司に来ていた。もともと酒が呑めない健太郎をよそに、いつも香水ぷんぷんでスメルダというあだ名される船越加奈子は、すでに大ジョッキを数杯カラにしている。
「でも、よかったすね、彼女できて。なんで、あたしは … 。あぁあ、なんなの。アマノのくせに。生意気なんらよ! 好きな人をふりむかせるために、どんだけ苦労してるか知ってるんれすかぁ?もう一軒行くぞ。アマノ!」
 しかし、健太郎のうかれた日々は長くは続かなかった。
 二人で会っているところを、父親にみつかってしまったのだ。
「もう、二度と会うことは許さん!」父は強引に菜穂子を連れて行こうとする。
「菜穂子の気持ちも考えてやってください!」と叫ぶ母親。
 四人がもみあっているうち、菜穂子は車道の方に押し出されていた。車のエンジン音が聞こえる。
「あぶない!」あわててかけより、菜穂子をよけさせた直後、健太郎の体はボンネットにのりあげ、道に叩きつけられていた。意識が遠ざかっていく。
 命に別状はなかったものの、健太郎の親も、二度と息子をそんな目にあわせたくない、菜穂子とはつきあわせたくないという気持ちになっていた。
 意識がもどり、からだの自由はもどった。菜穂子からの連絡はたえたままだった。
 一ヶ月後、松葉杖をついて出勤した健太郎を、同僚たちは笑顔で迎えてくれる。
  昼休み、スメルダが寄ってくる。「で、ヤッたの?」
 「また、それですか」と健太郎。「彼女とは、別れたんです」


 ~ 「所詮、無理でした。こんな怪我もしちゃったし、障がいを持っている人との恋なんて、そう甘くないってことですね」
 何言ってるんだ僕は。
「それでいいんだ?」
 スメルダの言葉にドキリとする。
「いいも何も、向こうがもう逢わないって言ってるんだから、仕方ないです」
「それ、本人の口から聞いた?」
 … 聞いてない。だけど、向こうからの連絡がないことが何よりの証拠じゃないか。
「アンタ、馬鹿だね。やっぱり。 … 彼女はね。アンタを怪我させてしまって申し訳ないからそう言ってるだけよ。逆の立場だったらって考えてみりゃわかりそうなもんじゃん。彼女の本当の気持ちを確かめもしないで、何、一人で悲劇ぶってんのよ」
 何も言い返せない。
「もっとさぁ、無(ぶ)様(ざま)でいいじゃん」
 無様 … 。
「私なら絶対、諦めないよ!」 (市井昌秀・今野早苗『箱入り息子の恋』ポプラ文庫)  ~


 健太郎は早退することを決意した。たしかめなきゃ。そして自分の思いを伝えなきゃ。健太郎はかけだしていた。映画では星野源が健太郎を、夏帆が菜穂子が演じている。いい作品です。

 

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偏差値29の私が東大に合格した超独学勉強法

2013年06月19日 | おすすめの本・CD

 杉山奈津子『偏差値29の私が東大に合格した超独学勉強法』(角川SSC新書)。
 静岡県のミッション系の女子校(雙葉かな?)に通った筆者は、高3まで大学に行くつもりはなかった。将来は医療関係の仕事をしたい、医療系の本も書きたいという夢を本気で考え始めたとき、大学という選択肢が見えてくる。地元を離れるなら国立しかだめと親に言われ、国立で薬学系で … 、あ、近場では東大ぐらいしかないなあと理科二類を目指すことにしたという。とはいえ、著者の通っていた高校から東大に合格するのは、一年おきに一人か二人出る程度(ちょっと似てるな)。文系でも理系でもなく芸術系コースに属していた彼女には険しい道だ。
 本格的に受験勉強をはじめて、高3の秋に受けた模試で、数学で偏差値29。
 もちろん、何の模試かで中身は異なるけど、なかなか厳しい状況だ。
 理系でなかったので、自分で数3や数Cを、生物Ⅱや化学Ⅱをやらないといけない。
  自分のクラスにそんな子がいたら、「わるいけど厳しいと思うよ」って言うにちがいない。

 思い起こせば郷党の鬼才とよばれたこの私めも、偏差値28とったな。高3の春の数学。200点中の6点だった。そうか、この1の差が、東大か金大かをわけるのか。残念。あと1あれば東大に入ってて、そしたら今頃は経済産業省でバリバリ復興の仕事してるにちがいない。社会人基礎力をがっちり身につけて。いや俺がいたら全電源喪失なんていう間抜けなことをさせずにすんだろうか(そうか、そういうミスをおかさないために、自分たちがまず人としての基礎を身につけようと設定されたのが社会人基礎力なのだろうか)。

 杉山氏が言うように(ていうか、みんな言うけど)、「勉強は質×量」である。
 これは間違いない。そして世の中の受験生のおそらく8割は、質以前に圧倒的に量不足だ。
 量はものすごいのに、質の低さで結果を出せない子が1割。
 質を高める努力を、量を増やす努力と同じくらい取り組んだ筆者だから、ほぼ独学に近い状況で難関を突破できたのだろう。
 とは言っても、『普通の主婦が50歳で東大に合格した勉強法』もそうだったように、目新しい方法、純粋なオリジナルな方法が書かれているわけではない。
 オーソドックスな勉強法も、それをどの程度ちゃんとやったか、そして愚直にやり続けたかが全てだ。
 ただ、自分のおかれた環境や、自分の適性・能力に応じたアレンジは必要だろう。
 結局は人生の成功方法と原則は重なるのだなと、あらためて思う。
 だから、受験勉強で身につける技術って、けっこう仕事とか人生の技につながる。
 たとえば「先送り」という秘技がある。自分はけっこう好きだ。
 わからないところは、とりあえず保留して先に進んでみる。しばらくして戻ってみると、つまづいていた部分でもすっとクリアしてしまうことがある。
 先に進むことで視界がひろがったり、先に進んでいるその時間、脳が無意識下で考え続けてくれたりするので、そういうことは起こりうる。
 日常の課題やストレスも、人間関係のようなものでも、ぐずぐず先延ばししていると、気がつくとなんでもないものになっていたりする。
 なんだ、思い悩んでいたあのことは、ちょっと客観的に見てみたらなんでもないじゃん、と気付くように。
 いついつまでにやらなきゃいけない仕事も、逃げ回っていたら、期限を過ぎてしまいやらなくてもよくなってたというのもけっこう好き。

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合作

2013年06月18日 | 日々のあれこれ

 ~ 「なんで東進で、特に東大目指すような子たちだと、ま、100点とは言わないですけど高得点が出るかっていうと、彼らは周囲の大人たちに大事にされて、ずーっと拾ってもらってきている子たちだから、そういう子たちがあとちょっとほしいっていう部分に、放り込めばいいから … だから僕の授業っていうのは、今まで彼らを見守ってきた大人と僕との合作なんですよ」(林修先生) ~

 
 日曜夜のなんとかという番組で、「不良」たちとの授業を終えたあとの、林修先生の言葉を聞いて、この先生って、メジャーになっても全然エラそうになってなくてかっこいいなと思った。
 てか、そうなってしまうような人はきっとブレークできないのだ。
 本校の生徒さんたちをご覧になった方から、よくあいさつしますねとか、がんばってますねとか言ってもらえ、先生方のご指導がいいとほめてもらえることも時々ある。
 でも、高校に入って身につけることなど、ほんのわずかだ。
 「あとちょっと」という部分にうまく放り込んであげて、うまくはまった時には良い感じにのびていくのだろう。
 「合作」ということ自体おこがましいとさえ思う。
 
 林先生が「国語の授業」をやっていたパートは先週も今週も観られなかった。
 ネットで検索したら、その部分も書き起こしてくださってるページがあって、センター試験の評論をまず授業しようとしたのがわかる。
 さすがにこれはむちゃだろう。林先生をもってしても。
 何年の問題だっけ、「書くことの衰退」。これはけっこういい問題だけど、たとえば進学校とよばれる高校でも、高1の教室にもっていって解説しようとしたなら、心を閉ざす子は山ほどいるから。
 ただ、閉ざし方の表し方は異なる。
 不良のみなさん(この言い方ていねいすぎるかな?)のように露骨につまんなそうにしたりとか、やってらんねえと言って教室を出て行ったりはしない。しないけど、閉ざし方のレベルはけっこう深かったりするからね。若い先生だとこのへんはきっと見えないレベルだけどね(なんて、おれも実はけっこうやる方なんだよ的付け足ししてみた)。

 さて、野球の抽選会があって組み合わせが決まったので、やっとコンクール前の日程をつめていける。
 1回戦は武蔵越生高校さん。春は大変苦戦した末に勝たせていただいた記憶がある。
 吹部の方でも、昨秋の音楽座ミュージカルコンサートでご一緒させていただいたり、コンクールでは前後で演奏したり、ご縁のある学校さんだ。あつい夏が近づいてきた。

 

 

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6月17日

2013年06月17日 | 学年だよりなど

 学年だより「箱入り息子の恋(2)」

 「たいした大学を出ているわけでもなく、出世もできないヤツに娘をまかせられるか」という父親の言葉には、反論することができなかった。
 実際に何の野心もなく、このまま波風を立てず今の部署で勤務し続け、一生独身のままでいいと思っていたのは健太郎だったから。
 しかし、父親が菜穂子の気持ちを全く考えてないように見えることは、ほおっておけなかった。
「菜穂子さん自身のお気持ちはどうなんですか?」
「あたしは、ただ気持ちが合う人と一緒にいられたらいいかな、と。障がいとどう付き合うかは、その後と … 」
「君が口をはさむことではない、この子がつまづいたり、壁にぶつかったりしたことを、君は見たことがあるのか」父が言う。
「お嬢さんに同情してほしいということでしょうか。」
 自分の意志を相手に伝える  健太郎がもっとも苦手としていることを今しようとしていた。
「僕は障がいを持っていませんが、欠点なら山ほどあります。こんな見た目なので、女性もよってきません。 … 今井さんは、誰かに面と向かって笑われたことはありますか? 変な人だと言われたことは? 見た目や、服や、就職先で、ヒトは値踏みされてしまいます。そんなランク付けをするのは、目が見える人だけです。今井さんが見ているものと、お嬢さんが見ているものとは違うのではないでしょうか。」
 熱弁する健太郎を、全身に怒りをこめて見返す今井。すべては終わったと健太郎は思っていた。
 二人は、しかし、父親に内緒でつきあうことになる。
 つきあうと言っても、健太郎の昼休みの時間にあわせて菜穂子が母親に車で送ってもらい、一緒にお昼を食べるのがデートだ。
 最初のデートでは、吉野屋に出かけた。二回目は立ち食いそば。
 誘導してくれる健太郎の腕につかまると、その緊張ぶりがひしひしと伝わってくる。
「そこ段差あります」「もう一段」「自動ドアです」「カウンターの席で7割ぐらい人が入っています」「ここでは、みんな立って食べています」
 視力を失って以来、親の言うとおりに生きてきた菜穂子が、はじめて知る世界だった。
「みんなお行儀悪いですね」
 はははと、健太郎の笑う声が聞こえる。誰かが自分のそばで笑ってくれる。
 楽しかった。誰かと一緒にいて楽しいということが、本の中ではなく、自分の身に起こると思っていなかった。
 気持いい風の吹く日、いつもの公園で待ち合わせた二人は小高い丘に登る。
 健太郎の腕にではなく、手をつないで歩くようになっていた。
 健太郎さんはどんな目をしているんだろう、どんな顔で笑うんだろう、そう考えると久しぶりに目が見えないことがくやしかった。
 健太郎から「僕は、菜穂子さんのことが、好きです」という言葉を聞いたとき、気がつくと涙が頬が伝っていた。

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21C:マドモアゼル モーツァルト

2013年06月16日 | 演奏会・映画など

  音楽座ミュージカル2013年前半の公演は、池袋芸術劇場。
 銀座に比べると圧倒的に近くてありがたい。開演の1時間前に学校を出られれば、なんとか間に合う。
 なので、昨日は16時半まで合奏してから向かったけど余裕だった。はじでいいからなるべく前方の席をとお願いしてあったら、はじめて最前列を経験させてもらえた。全体像はつかみにくいが、役者さんの息づかいが伝わる。
 ルテ銀に比べれば、芸術劇場のプレイハウスは最後列でも見やすいから、もう毎回ここでやってほしい。途中、宮崎祥子さんのセクシーなお姿も一瞬あり、おそらく間近で見るはずのMO高校のS先生はきっと鼻血だして失神するのではないかと思う。
 「21C:マドモアゼルモーツァルト」は、福山庸治氏の漫画作品を舞台化したもので、神童モーツァルトは実は女だったという設定で繰り広げられる。
 主人公のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、劇中「ヴォルフィ」とよばれることが多い。高1のとき、スポーツ少年団の交流で来日し、我が家に一週間ホームステイしていったヴォルフガング君を思い出してしまった。元気かなヴォルフィ。
 自分にとっての音楽座ミュージカルは、「泣かないで」であり「シャボン玉」であり、作品の素材が「和もの」であることが、惹きつけられる大きな一つ要因だ。「赤毛もの」とよばれる西洋人を日本人が演じるお芝居は、体質的に受け付けないから、楽しめるかどうかちょっと心配していたが、杞憂だった。
 モーツァルトは今でこそ音楽の神様のように扱われているけど、当時の人たちにとっては、けっこう困った存在であり、作品をどう評価すべきかについても、受け取り方はいろいろあったのだろう。
 100年後、200年後に作品がどういう扱いを受けるかなど、同時代に人にわかるはずはない。天才と称せられる人の作品ほどそういうものなのだろう。
 「実は~」というように、歴史の設定を換えることで既成概念をゆさぶって、物事を新しい視点で見直す。
 それが荒唐無稽なものであっても、正攻法の学問的・科学的アプローチでは不可能だったものが見えてくるものだ。そこにこそ人間の真実がみえかくれする。
 これこそ、学問、科学とは異なるエンタメの大きな役割の一つだろう。
 ミュージカル自体が「実は~」的存在だとも言える(え? 意味わかんないですか。自分もです。うまく言えそうになったらあらためて)。
 でも、なぜモーツァルト? という思いは心の底にはあった。それが氷塊したのは、最後のシーンだった。
 同じ時代、同じ場所を生きた多くの人たちの心をゆりうごかし、とくに身近で関わった人たちは、まさに翻弄させられて、35年の生涯をかけぬけていったモーツァルト。
 天に召されていく姿と、再び音楽の聖たちの中から立ち上がりスポットライトがあたるシーンは、「シャボン玉」や「泣かないで」「とってもゴースト」の最後のシーンと重なってみえてきた。
 そうか、音楽座さんが描こうとしているのは、これなのか。あまりにありきたりの言葉でしか言えないのがもどかしいが、それは「命」のありようだ。「命を大切に」とかいう道徳的メッセージではない。宇宙の中にある命そのもの。大人のミュージカルを観たいと思ってここへ足を運んでいるのは、まちがいではないと思えた。
 秋の公演は新作で、浅田次郎の「ラブレター」を作品化するという。楽しみでしょうがない。
 できれば今年も部員みんなと観に行きたい。

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基礎力

2013年06月15日 | 日々のあれこれ

 昨日の帰りがけに、いなげや新河岸店に寄ったら、叙々苑焼き肉のたれが358円で安売りされている(なんかあったのだろうか)。けっこう好きなたれだけど、普段500円以上するのでなかなか手が出ない。迷うことなくかごにいれる。ふと見ると唐揚げ用の鶏肉がそこそこの値段で売っている。お弁当休もうかなと思ってたけど、唐揚げにすることにした。
 鶏肉を醤油、酒、ショウガの絞り汁にまぶす。にんにくをおろしていれるのが通常のレシピだろうけど、にんにくは常備してない。味に一工夫ほしいときには焼き肉のたれの投入という小技を使う。するとかすかなにんにくの香りや、甘みも加わって、味わい深いものになるのだが、そんな時、叙々苑のたれは実にいい仕事をするのだ。
 上手なAバンドの魅力は音色の豊かさだ。みんなが大きい音で吹いているときに、たとえばファゴットやコントラバスの音は聞こえないのだが、あるのとないのとでは、そのふくよかさが全然変わる。それと同じ感じかな。
 朝それを揚げてつめ、3時間目の進路講演会を終えてから食べてみたら、ほぼ狙い通りのできだった。
 進路講演会では、今の二年生にとって的確な、言い方を換えれば実にあたりまえの、だからこそ何より大切ないくつかのことがらを、河合塾の方から語っていただいた。
 予習、授業、復習サイクルの重要性は、誰もが認識していながら、生徒さんも漠然と大事だとは感じながら、なかなか実行できないのはなぜか。
 たぶん、どうやっていいかわからないというのが本音のところではないのか。
 今日は、模試の復習の仕方について具体的な言及があったが、日常の勉強も、やれやれ言うばかりでなく、やり方そのものをもっと示していかないといけないなと改めて思った。
 受験勉強、学校生活によって「社会で求められている力」を身につけようというお話もあった。
 その力とは「前に踏み出す力(アクション)」「考え抜く力(シンキング)」「チームで働く力(チームワーク)」の三つだそうだ。
 これは経済産業省が「社会人基礎力」として提唱している「力」だという。
 ホームページをみてみようか。


 なるほどね。
 三つの能力、それを細分化した12の能力要素。
 たとえば「チームワーク」の下位には「発信力・傾聴力・柔軟性・状況把握力・規律性・ストレスコントロール力」がおかれている。すごいね。全部備えていたら、スーパーマンじゃないだろうか。
 これを「基礎」と言う経済産業省の方々とは、想像も絶する仕事師集団なのであろう。
 自分にはとうてい及びもつかないが、唐揚げの味を一工夫する力とか、これってほんとにそうなの?と疑う力とか、ばかなんじゃないのと思ってもすぐに大声をあげて非難することのない忍耐力とかは、だいぶ身についてきた。
 経済産業省のみなさまには、ぜひその力を自らの組織のためではなく、下々の民草のために役立てていただきたいと切に願う。このサイトをつくるために相当の税金がつぎこまれたことだけははっきりわかった。
 外務省の重職を歴任された後野球のコミッショナーをつとめてらっしゃる方には、傾聴力とか、状況把握力を、発揮していただいたらいいんじゃないかなと思う。
 毎日机に向かう力とか、きちんとあいさつする力とかを生徒さんに身につけてもらうのが、われわれの仕事であろう。基礎以前ということになるのかな。

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天分もある

2013年06月14日 | 日々のあれこれ

 古典演習2、現代文1、古文1、ミーティング1、会議1の、まあまあ忙しい日なのに、ちゃんと教育実習生の研究授業を見にいく自分のなんと偉いことか。
 でも行って、その堂々たる授業ぶりに感動してしまった。
 そうか、遺伝の本質ってそういうことか、なんてこともわかった。
 これは国語における「セントラルドグマ」だな、とすぐに使ってしまいそうな気がする。
 言うことないっしょ。
 そりゃあ、細かい技術の問題を指摘しようと思えば言えないことはないけど、そんなのは普通に勉強する姿勢さえあればどうにでもなる。
 昼休み、彼が職員室内を歩き回って指導を受けている。
 自分のところにも来たので、一言二言会話する。
 すごいよかったよ。だめな点を指摘されたりした? 誰がどんなこと言ったの? へえぇ、そういうことね。そんな枝葉末節を言う人いるんだぁ、とかけっこう大きな声で言ってしまった自分は大人げなかっただろうか。
 何より、生徒の顔をしっかり見て語っていたのがえらい。
 それができない現役の先生は日本中に山ほどいる。
 自分だって、予習不足で教室に入ってしまった時は、生徒さんの顔を見ないようにして、おどおどと進めてしまうから。
 野球で言えば、とりあえず速い球が投げられるとか遠くへ飛ばせるとか、楽器なら普通に吹いたときの音色なんてのは、持って生まれた部分も大きくて、教員の仕事でもそういうのはあるような気がする。
 生徒の前に立ってニコっとできるかどうかも、それに近いものかもしれない。
 向山先生も、堀裕嗣先生も、笑顔になれることの大切さは第一レベルで設定されていたと思う。
 それは教員の仕事が根本的に未来を目指しながら行われるものだからだろう。
 性格自体は本当は暗くてもいいと思う。
 明るさを装えるなら。
 なんかあった時にとりあえず笑える自分に無理にでもなれるなら。
 そういう人は先生やってていいと思うが、それができない人にはきびしい商売だろう。
 あってない仕事についてる人もいるけどね。
 たとえば飲食店で、この人はどう考えても接客にはむいてなくね?と思える人とか。
 今日、堂々たる授業をくりひろげた実習生も、将来現場に立てば早い段階で壁にぶつかるとは思う。
 それを乗り越えられる前向きさを感じられるところが、天性のものを感じた理由かもしれない。
 もちろん天分が不足していても、この私めのようにわずかばかりの才能を専一に磨き、刻苦勉励することによって、ぎりぎり一人前に近づけることもありうる。何事もそうなのかしれない。

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笑ってこらえて

2013年06月13日 | 日々のあれこれ

 テレビ番組を録画して観るという技を最近を身につけたので、「笑ってこらえて」の吹奏楽の旅をみてみた。
 とりあげられていた大阪桐蔭高校は、部員数が186人。全員が経験者で、多くの部員が、関西一円から吹奏楽部に入るために時間をかけて通ってくるという。
 顧問の先生が、「6月にオーディションを行う、上級生が優先されるわけではない、一昨年は(去年は三出休み)15人の一年生が選ばれた、しっかりがんばろう」と話すミーティングシーンが最後のうつっていた。
 186人中の55人。一見厳しい選抜のように見えるが、大阪桐蔭の野球部は、きっと100人以上の部員から25人(だっけ?)のベンチ入りメンバーが選ばれるはずだ。
 サッカーやバスケットの例と比べても、吹奏楽はレギュラーに選ばれる率が高い部活だ。
 ていうか、55人の部員がそろわない学校の方が多いから。
 何年か前、人数制限が50人から55人に増えたときには、吹奏楽連盟をうらめしく思ったものだ。
 いったい、どれだけの学校を想定して規約を変えているのかと。
 その知らせを聞いたとき、自分は始め耳を信じなかった。
 それは夢にちがいないと考えた。
 夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。
 どうしても夢でないと悟らねばならなかったとき、自分は茫然とした。
 部員が100人いてさえ、きちっと50人編成のバンドを組むことの難しさを思い知らされていたから。
 そして、その時は部員数が減っていた。
 2、3年生をあわせても50人に満たないし、経験者が入部してくるのは多くて数名。
 年によってはゼロ名だ。
 自分は懼れた。
 全く、どんなことでも起こり得るのだと思うて、深く懼れた。
 しかし、なぜこんなことになったのだろう。
 わからぬ。全く何事も我々にはわからぬ。
 理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。
 自分は一瞬B編成に出場することを思うた。
 しかし、課題曲が発表される頃には、自然とそれを購入し音出しをしていた。
 部員たちもAに出ることを前提して活動していた。
 やるしかない。
 人数が減ったからしばらくB部門に出ていた男子高校もある。
 今年Aにもどるという噂も聞いたが、負けるわけにはいかぬ。
 負けるはずがない。
 人は自分を倨傲だ、尊大だと言うかも知れない。
 しかし、厳しい状況のなかでへこたれずAに出場し続けてきた自負はある。
 進んで師について、指揮を学び、音楽を学んできた。
 親しくしてくださる先生と酒をくみかわし、貴重な話をうかがってきた。
 己の珠にあらざることを知るがゆえに、羞恥心を捨てて、人と交わってきた。
 さしあたり、オーディションなしでAメンバーに入ることになっている2,3年生の個をどこまで伸ばせるか。
 1年生を何人入れることができるか。
 道は険しいが、歩いていくしかない。
 思うに希望とは、もともとあるものも言えぬし、ないものとも言えない。
 もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
 迷わず行けよ、行けば、わかるさ。
 練習を終えて見上げた空に月がかかっている。
 自分は、覚えず、月を仰いで、二声三声咆哮する。
 遠くから蛙の鳴き声が聞こえる。
 ヤオコーのお総菜はもう半額になっているだろうか。

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6月13日

2013年06月13日 | 学年だよりなど

 学年だより「箱入り息子の恋」

 天雫(あまのしずく)健太郎は恋に落ちた。
 健太郎は、彼女いない歴35年、生まれてこの方一度も女性と交際したことがなく、生涯独身を通すことを心に決め、勤務先の市役所と自宅との往復で淡々と毎日を過ごしている。
 いくつになっても女っけ一つないどころか、友達もいるように見えない健太郎を、何とかしたい、普通に結婚して子どもをつくってという暮らしをさせたいと、健太郎の両親は思い悩んでいた。
 二人は、親同士が子どもの見合い相手を探す「代理婚活の会」に参加して、ある女性とのアポをとることに成功した。
 見合いをしぶる健太郎だったが、父に渡された写真を見て驚いた。彼女を知っていたからだ。
 しばらく前のこと、市役所の前で雨宿りをしている女性がいた。なぜかずっと見つめ続けられて健太郎も目を離せなくなり、彼女が傘をもっていないことに気付くと、自分の傘を無理矢理わたして、ずぶぬれで帰った日を思い出した。まさか、あの人と … 。
 当日、両親とともに緊張して座っていると、彼女が両親とともに現れた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」「こちらこそご連絡いただきまして … 」
 今井晃と名乗った先方の父親が、娘を席に導いている。か細い声で「大丈夫だから」とささやいた彼女は、ゆっくりとイスの背もたれを触って位置を確かめているが、視線はまったく別の方向を向いていた。
 目が … 、見えてないのか?
「実は、事前にお伝えしておりませんでしたが、娘は八歳の時に視力が落ちる病気にかかり、今は全く見えていません。」
 健太郎は、困惑しながらも、心を奪われていた。
 一方、菜穂子の父今井晃は、今回の見合いには最初から反対だった。
 健太郎の出身大学、今の勤務先での地位、35年間ずっと親元で暮らしてきたという男。
 資料を見て会うまでの相手ではないと考えていたが、妻の強い勧めでしぶしぶ来ていたのだ。
 だから挨拶が終わっても、ずっとうつむきがちで、自分から積極的に話そうとしない健太郎を見て、つい本音が口をついてしまう。
「君には、うちの娘を一生面倒みていけるとは思えない。ボランティアの経験でもあるのか、ないだろう。」あなた、やめてくださいという妻の静止も聞かず、父親は話し続ける。
「大体13年間も勤めてて一回も昇進していないとはどういうことだ。人生を諦めているからだよ。そんなあまったれた男に娘をまかせられない」「失礼でしょ!」と健太郎の母が席を立つ。
 しかし、何の反論もできない健太郎の視線が、菜穂子をとらえる。
 その大きな瞳には悲しみをたたえ、彼女はただじっと耐えているように見えた。
 そうか、こんな機会は今までもあったのだ。自分のことを思うあまり父親が周囲といさかいをおこし、でも自分ではそれをどうすることもできず、感情を消す努力をしてきたのではないか。
 そんな彼女の苦しみを僕は理解できる。自分を消してやりすごさねばならない悲しみが、僕にはわかる。そう感じた健太郎は、自然と口を開いていた。
 「菜穂子さん自身のお気持ちはどうなんですか?」

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