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スリランカのクリノオビクジャクアゲハ
Papilio crino in Sri Lanka
スリランカは人口約2096万人、インド南端海上にある涙滴状の島国で広さは九州と四国を足したくらい。
スリランカ北部のシギリアで蝶とりをしているとやってきたサロジャニちゃん。
このあとスリランカ北東部は凄惨なスリランカ内戦の最激戦地となる。
第二次大戦後のサンフランシスコ平和会議(1951)で、 スリランカのジャヤワルダナ代表は「 憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む 」という仏陀の教えを引用して賠償請求権を放棄し、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えた。
また戦勝国による日本の分割統治に強く反対したのであった。
下手をすると、北日本:共産圏、 南日本:アメリカ系 といったお隣さんの国みたいになっていた可能性が高かった。
そんな経緯もあって日本人はスリランカが大好き。
スリランカもかなりの経済協力を惜しまないできた日本を大好き。
人口の70% はシンハラ人でタミール人は18% 、ムーア人8% 、 仏教70% 、ヒンドゥー教 10% 、キリスト教 11% 、 イスラム教 8% で 多民族多宗教国家である。
産業は 縫製業と農業。紅茶の栽培で有名。
ただ、山地帯の自然がことごとく紅茶畑になってしまい、恐らく豊かな原始自然はごく一部の国立公園くらいにしか残っていないのではあるまいか。
と、はるか昔にスリランカを訪れた当時、私たちは感じました。
少数派ヒンドゥ教徒のタミール人がLTTE という反政府組織を結成し、タミール人が多く住む北東部2州の分離独立を主張して多数派仏教徒シンハラ人の政府軍と内戦状態になった。
1983年から始まり2009年5月に終わった内戦は26年におよんだ。
この間、内戦中のスリランカへ蝶を見に入った人はいないだろうと思う。
いつからスリランカで蝶の採集などが禁じられたのかは知らぬが、今現在はインドと同じくこの国での昆虫採集は公には不可能。
スリランカのクリノオビクジャクアゲハ
ダブレラの世界の蝶類図鑑シリーズで有名なBernard d’Abrera氏は幼少時スリランカに住んでいたことがあるようで、 Papilio crino クリノオビクジャクアゲハとの出会いについて 著書 The butterflies of Ceyron で述べている。
彼は12歳の蝶好きの少年であったが ある日、首都キャンディの父の家の庭でこの蝶を初めて発見したが取り逃がす。
生まれて初めてみた美しい蝶に興奮し、この蝶を狙い続けて四日目にしてやっと捕らえた。
それまでの3日間はこの蝶で頭が一杯、まったく寝ることができなかったという。
確かにとても美しい蝶でインセクトフェアでは南インド産のクリノオビクジャクアゲハが人気でよく売れていた。
本種は南インドからカルカッタにかけての地域とスリランカに生息する。
現在、南インド産はなんとか入手可能な状況だが スリランカ産は厳重な採集禁止措置のため入手は困難、我が国には禁止措置以前の古い採集品が多少残っているかもしれない。
コブラ使いは観光地には必ずいました。私はこのコブラ使いの笛を買ってきました。
私は半世紀も昔のことだが2回、妻とスリランカへ蝶採りにゆき P. crino とよく対面した。
個体数は少ないとは言えないが、とにかく早い、速い、速くて追いかける気が起きないほど速く飛ぶ。
一瞬、花に立ち止まったすきにかろうじて採集しても大抵羽のへりがボロボロで尾状突起が欠けた不完全品でがっかりが続く。
ところが平地と違って森のなかでは比較的飛翔が緩やかになり採集しやすくなると同時に採集品の鮮度もよくなるといった印象であった。
ホソオビクジャクアゲハの別名のとおりオビクジャクアゲハの仲間のなかでは前翅表面の緑の帯は最も細い。
スリランカの森で採集した Papilio crino. 美麗な♂。
南インド産はほとんど変異が無いが、スリランカ産は個体変異の幅が大きいといい、そのため両者を亜種区分することが出来ないらしい。
食樹は Satinwood ( Chloroxylon swietenia ) 。
ダブレラによれば 幼生期や生態は、いまだ断片的知見しかないようだが、おそらく現在では現地愛好家たちはよく知っているのではなかろうか。
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スリランカのクリノオビクジャクアゲハ
Papilio crino in Sri Lanka
スリランカは人口約2096万人、インド南端海上にある涙滴状の島国で広さは九州と四国を足したくらい。
スリランカ北部のシギリアで蝶とりをしているとやってきたサロジャニちゃん。
このあとスリランカ北東部は凄惨なスリランカ内戦の最激戦地となる。
第二次大戦後のサンフランシスコ平和会議(1951)で、 スリランカのジャヤワルダナ代表は「 憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む 」という仏陀の教えを引用して賠償請求権を放棄し、日本を国際社会の一員として受け入れるよう訴えた。
また戦勝国による日本の分割統治に強く反対したのであった。
下手をすると、北日本:共産圏、 南日本:アメリカ系 といったお隣さんの国みたいになっていた可能性が高かった。
そんな経緯もあって日本人はスリランカが大好き。
スリランカもかなりの経済協力を惜しまないできた日本を大好き。
人口の70% はシンハラ人でタミール人は18% 、ムーア人8% 、 仏教70% 、ヒンドゥー教 10% 、キリスト教 11% 、 イスラム教 8% で 多民族多宗教国家である。
産業は 縫製業と農業。紅茶の栽培で有名。
ただ、山地帯の自然がことごとく紅茶畑になってしまい、恐らく豊かな原始自然はごく一部の国立公園くらいにしか残っていないのではあるまいか。
と、はるか昔にスリランカを訪れた当時、私たちは感じました。
少数派ヒンドゥ教徒のタミール人がLTTE という反政府組織を結成し、タミール人が多く住む北東部2州の分離独立を主張して多数派仏教徒シンハラ人の政府軍と内戦状態になった。
1983年から始まり2009年5月に終わった内戦は26年におよんだ。
この間、内戦中のスリランカへ蝶を見に入った人はいないだろうと思う。
いつからスリランカで蝶の採集などが禁じられたのかは知らぬが、今現在はインドと同じくこの国での昆虫採集は公には不可能。
スリランカのクリノオビクジャクアゲハ
ダブレラの世界の蝶類図鑑シリーズで有名なBernard d’Abrera氏は幼少時スリランカに住んでいたことがあるようで、 Papilio crino クリノオビクジャクアゲハとの出会いについて 著書 The butterflies of Ceyron で述べている。
彼は12歳の蝶好きの少年であったが ある日、首都キャンディの父の家の庭でこの蝶を初めて発見したが取り逃がす。
生まれて初めてみた美しい蝶に興奮し、この蝶を狙い続けて四日目にしてやっと捕らえた。
それまでの3日間はこの蝶で頭が一杯、まったく寝ることができなかったという。
確かにとても美しい蝶でインセクトフェアでは南インド産のクリノオビクジャクアゲハが人気でよく売れていた。
本種は南インドからカルカッタにかけての地域とスリランカに生息する。
現在、南インド産はなんとか入手可能な状況だが スリランカ産は厳重な採集禁止措置のため入手は困難、我が国には禁止措置以前の古い採集品が多少残っているかもしれない。
コブラ使いは観光地には必ずいました。私はこのコブラ使いの笛を買ってきました。
私は半世紀も昔のことだが2回、妻とスリランカへ蝶採りにゆき P. crino とよく対面した。
個体数は少ないとは言えないが、とにかく早い、速い、速くて追いかける気が起きないほど速く飛ぶ。
一瞬、花に立ち止まったすきにかろうじて採集しても大抵羽のへりがボロボロで尾状突起が欠けた不完全品でがっかりが続く。
ところが平地と違って森のなかでは比較的飛翔が緩やかになり採集しやすくなると同時に採集品の鮮度もよくなるといった印象であった。
ホソオビクジャクアゲハの別名のとおりオビクジャクアゲハの仲間のなかでは前翅表面の緑の帯は最も細い。
スリランカの森で採集した Papilio crino. 美麗な♂。
南インド産はほとんど変異が無いが、スリランカ産は個体変異の幅が大きいといい、そのため両者を亜種区分することが出来ないらしい。
食樹は Satinwood ( Chloroxylon swietenia ) 。
ダブレラによれば 幼生期や生態は、いまだ断片的知見しかないようだが、おそらく現在では現地愛好家たちはよく知っているのではなかろうか。
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