「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「束の間の安堵」

2008年07月13日 | 家族・孫話
日曜日のお昼前、クルマを15分走らせて、母を見舞う。
せめて昼食の介助などさせてもらおうと思って、出来るだけこの時間に顔を出すように心がけている。

今日は久しぶりに、母のコンディション最高。
目はパッチリ、視線が泳がない、ちゃんとこちらの顔を見ている。
耳元で声をかければ、不確かながら反応する。大儲けした気分になる。
食事をスプーンで口に運ぶ。ちゃんと口を開けて受け入れてくれる。3カップを全てこの手で食べさせられた。ここ半年ばかりなかったことである。

せいぜい最初の1カップくらいは、渋々ながら口をウッスラ開く。ここぞとばかりにスプーンで押し込む。それでも、介護士さんが食べさせる他の人にくべると時間が掛かりすぎる。
母だけが余り遅くなっては介護士さんに迷惑になると思い、2・3カップ目は介護士さんにゆだねる。

やはり口を開かない母の口元に、それこそねじ込んで食べさせる。あっという間に終わる、プロの技とでも言うのだろう。
但し、開きもしない口に文字通りねじ込まれる姿は、親族として見るに忍びない。そそくさに引き上げる。介護士さん達もジッと見られてはやりにくいだろう。

そんな調子が続く中で、久しぶりに今日のようなことがあると、まだまだ大丈夫だと束の間の安堵をくれる。

「百里の道を旅行く者は、九十九里来て半ばと思え」戒めの言葉として、母が何度も聞かせてくれた言葉を思い出す。百才を迎えた今、母は何を思うのだろう。
コメント (6)
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