「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「過ぎにし足跡」

2017年12月30日 | つれづれ噺

     

今年もいよいよ晦日を迎えた。泣いても笑っても残すところ1日である。
朝一番に神棚を、次いで仏壇のホコリ払い、お供えと飾りつけ。玄関の掃除やしめ飾り取り付けなどで、迎春準備完了。  
今年は控えるべきかな、という迷いもあったが、新たに来年の年神様をお迎えする準備なのだ、と割り切って、一通りの迎春グッズを整えた。

ここまでやると、やはり過ぎにしこの1年の足跡が気になる。
どこにどんな足跡を残してきたのか。その足跡の重さ、形、長さ、数量、など少し振り返ってみたくなる。

三月初めに飛び込んで来た、実の姉の交通事故による突然の逝去。
横断歩道を渡っているときに、76歳の高齢運転者の乗用車にはねられた事故。
近くに住んでいて、日常を知っているだけに、精神的ダメージが大きかった。未だになんかしら尾を引いている。
自分自身高齢運転者であり、高齢歩行者である。この事実をちゃんと認識していると、ハンドルを握る腕が心なしか縮む思いがする。

5月には、それまで開業医で治療を続けてきた蓄膿症の手術を受けることになった。
話が決まるまでは、ああかこうか悩みもあったが、いざ決定して入院する段階では、完治する状態を頭に描いて、冷静そのもの。術後は、自分の命はどれだけ多くの人によって生かされているのか、という感謝に芽生えた。
もちろん、会社生活と言う来し方にも思いが行き、思い出と感謝の充実した入院体験をした。

身辺あれこれを思う時、「どうしても完全ではないな」、「もう一歩突っ込んでおけば…」という悔いは残る。
地域活動も、自分の立場を考えると、もう一歩前進ではないか。その一方で、「出すぎないように」という遠慮や少しの消極性が、結果に表れてまたそこで反省する部分もある。結果論から言うと「中途半端」っだたかな~と。

読書も執筆もこれまた中途半端。ただ、何もしないわけではなく、読書にも幅広く目を向けた。執筆も下手な鉄砲ではなく、これだけは是非というテーマには果敢に挑戦した、と自分では思う。結局は自分で自分を許容できる線をどこに引くか、と言うことにかかっているのかも。

功罪相半ばして静かに暮れようとする2017年。もうちょっと人助けが足りなかった点は認めよう。
そのような点を踏まえて、ホンの少しでも顔を上げて前に進めるような、2018年を迎えたいものだ。 

コメント
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