「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋の夜長を・・・」

2019年09月02日 | 季節の移ろい・出来事

            

二階の窓を開け放つと、「まあ、うるさいくらいの甲高い虫の声がする」とカミサンが云う。
じっと耳を澄ませ、窓の下の草むらに神経を集中させる。「あれが聞こえないの?」とさらに云う。
以前は間違いなく同じように聞こえていた。ちょっと耳障りなときは窓を閉めたりしたものだ。
ここのところあのムシの音がはっきり聞き取りにくくなっている。よほど集中して耳を傾けないと、スイーッチョンもガチャガチャもリ~ンリ~ンもただごっちゃになってなんとなく聞こえてくる程度。

ウ~~ン困った・・・と言うほどでは決してないが、テレビのボリュームが段々おおきくなっているのも確かである。
今しか聞けない季節の音の便りを、確かな音として捉えられなくなったのか。これはいささか驚きであり、抵抗してみたくなる現象ではある。
とは云いつつも、歌を歌わせれば自分の声ははっきり聞こえるし、音程の狂いもない。と思っている。本当に聞こえにくくなると、耳で音程管理が出来なくなる。
それこそ音痴になってしまうらしい。演歌大好き同級生にそんな男が一人いる。本人は大真面目で歌っているのに、至る所音程が崩れる。

まあそれもこれも長年使ってきた勤続疲労だろうから、ある程度上手に付き合うのがいいのだろう。但し、聞こえているフリをして後で困らないよう自覚を、持つことだけは心したい。まだまだ、人生に秋風など忍び寄られてたまるか。とリキムところが胡散臭いんだろうけど。

9月も2日を数え、やはり秋の訪れをそこここに感じる。チェロの生演奏で「バッハのプレリュード組曲」を間近で拝聴する機会に恵まれた。
決して得意な分野とは言わないが、うっとり聞き惚れる。いいものはやはりいい。よく分からないけどいいものはいい。
そんなこんなで、ついつい人並みに秋の夜長を少し楽しむ、晩夏から初秋への季節の変わり目である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい