毎年のことながら、この時期に見る、この時期にしか見られない色、風景。まさに秋半ばの黄金色輝く田園風景である。
幸いにしてこの地は、豪雨災害も大きな台風被害にも遭うことなく、豊かな実りの秋を迎えている。
ごく自然な、当たり前の季節の光景なのに、自然災害が各地で猛威を振るい、予測のつかない被害をもたらすこの頃では、実に有り難い光景ではある。
何代か前の人たちによって開墾された、小さな区切りの棚田。それぞれに持ち主は異なるのだろうが、いずれの田んぼも見事な彩りを見せてくれる。
すでに刈り取りを終えた田んぼ。間もなく刈り取りを待つ田んぼ。今しばらく先の収穫となる田んぼ。いずれも豊作間違いなしの様子が嬉しい。
そして今さら言うまでもなく、「実るほど・・・・・・」大きな米粒の重さに耐えるように、必死に頭を垂れている。
これから刈り取り、籾干し、脱穀、さらに乾燥などのいくつもの工程を経て我が家の米びつに。
手間暇かけて作り上げた玄米。精米すると白く輝くダイヤモンドに変身する。そうやって手に入れたお米。美味しく頂かなければバチが当たる。
美味しく頂くための第一歩は「研ぎ」である、と聞かされた。
まず、ざるにお米を入れてさっと水をかけ、砂などのゴミを落とす。それから桶などに移し、水をかけて研ぐ。
お米は洗うのではなく、研ぐと言う。米に付いた糠を落とすのである。お米は乾いているのであっという間に水を吸い込む。
手早くしないと糠の匂いがしみこんでしまう。親指の根元の肉の厚い部分で押すように研いだら、きれいな水をかけてすすぐ。
講釈師見てきたようなウソを言い、などという話ではなく、中島久枝さんの本にそう書いてあるのだ。
出典はともかく、多くの人の手や、貴重な陽射しや雨という、自然の恵みを受けて出来上がるお米。手をかけ、心を込めて美味しく炊き上げたいものだ。
それを頬張りながら、美味しい!と感じることは、一種の贅沢であり、癒やしの満腹が得られる。
食欲をそそられる秋半ばである。