深みゆく秋とともに、あちらこちらで写真や絵画、書などの作品展が開かれている。手近なところではあるが人並みに芸術の秋を楽しんでいる。特に、同級生が主宰する写団「のら犬」展には、大きな思い入れをもって、毎回欠かさず見学させてもらっている。
ちょっと生意気ではあるが、ここ数年は会員各位の写真技術が格段に向上しているものを感じる。見応え・手応えを感じるのである。
かれこれ65年前の中学1年の正月。社会人になり立ての兄からのお年玉がなんと、スタート35というカメラであった。
ヤシカかミノルタか、はたまたニコンか。それとも名もない一向社か。メーカー名はすでに記憶にないが、兎に角、当時の最先端を行くカメラ少年というイメージで、宮島に渡り、凍える指に息を吹きかけながらシャッターを押したのを覚えている。それほどにカメラを扱う年数だけは長いのだが。
ただ長いだけのカメラ歴とはいえ、新聞投稿のレポートに現場写真としてたった1枚を沿えるために20枚も30枚も撮影する。
その中からお気に入りの1枚を選び抜く作業を繰り返しているうちに、段々眼は肥えてきた。
ただ、報道用の写真と、展覧会に出す芸術写真では自ずと構図や光の取り込み方などに違いがある。報道写真はその一瞬の切り取りが勝負で、待つことも再びを期待することも出来ない。そういう意味では、ファインダーを覗いた途端に、被写体の動きを追いかけ、いち早くシャッターを押す。被写体の躍動感が報道写真の命である。と勝手に自分に言い聞かせている。
そこへ行くと、今回の芸術写真は、被写体を求めて日本各地を移動したり、早暁を狙ったり、夕景・夜景に的を絞ったりその熱意は大変なものである。そこには単なる表面的な画像だけではなく、詩的な感覚が盛り込まれることになる。増してや、その写真にタイトルを添えるとなると、その時こそ写真家を超越した詩人感覚が必要なのかなーと思う。感銘する写真に当を得た詩的なタイトルが添えられるていると、その写真が倍の値打ちを発揮させるのではないか。などと思うが如何だろう、ご同輩。
いずれにしても、2019年度の市美術展の入賞作品7点ほか、16人の写真家による83点の展示はお見事というほかない。
あれこれ思いながら、人並みに芸術の秋の一端を鑑賞させてもらった。