「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「畑のお化粧」

2019年10月08日 | 晴耕雨読

               
         

              秋たけて 化粧の畑 誰を待つ   愚作

またまた畑にお化粧を施す時期になった。
お化粧とは言っても、紅を引くわけでもなく眉を刷くわけでもない。ただただ白粉を塗りたくっただけのお化粧である。
 ♬ ・・・・・・ 窓に映して寝化粧を しても心は晴れません ・・・・・・ ♫♫ などという艶やかな演歌も関係ない。

要するに、10月末に植え付けするタマネギ用の畑に、鶏ふん・牛ふんの元肥を施した。そんな酸性土を少しだけ中和して、タマネギの成長を促す目論見の苦土石灰を撒いただけのこと。
そのついでに、芽を出したばかりのカブやダイコン、ホウレンソウなどにも少しだけ白粉を塗ってやった。
新鮮な青い芽が心なしか微笑んでいるようにも見える。 

     

ところが、このわずかな苦土石灰の白粉を嫌う野菜もあるのだ。
少しでも器量よしに見せたい親心ならぬ施主心を、有り難いと思わない野菜とはジャガイモさんである。
堀立のつるんとしたきれいな肌が、この白粉、つまり苦土石灰を撒くことで、肌に黒い斑点の窪みが発生する。これが新ジャガ?と思わせるほど、見るも哀れなえくぼ表面となる。皮を剥くにも一手間よけいにかかる始末で、評判が芳しくない。何でもかんでも化粧すればきれいになる、というものでもない。

有名女優さんが使っている高価な化粧水を使えばみんな綺麗になるのなら、この世はまさに美人だらけになり、それなりの人がいなくなる。
そうなると、どれが美人なのか判別しにくくなりそうだ。それなりがいてこその美人なのではないのかな。
うかつなことを言うと、世の女性を敵に回しそうな気配なので、話題を変えよう。

こちらが良かれと思ってしたことが、相手にとって不愉快なことだって世の中にはあふれるほどある、ということ。
これからの高齢化社会の中で、ご近所支え合いと言う名の下に、他人の生活にどこまで介入していけるのだろう。
お節介とは「節度のある仲立ちをすること」をいうのだそうだが、石灰白粉のお化粧を受け入れてくれるタマネギやダイコン、ハクサイはいい。
白粉を受け入れる体制、気持ちのない人に、さてどこまで手を、口を、差し出すのがいいのだろう。これからの勉強が欠かせない。

コメント
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