織田信長 肖像画 明智光秀 肖像画
日本の長い歴史に横たわる、討つ者、討たれる者の怨念の川はとどまることを知らなかった。
そんな歴史の1ページである比叡山延暦寺焼き討ちから450年という歳月を経て、大津市の比叡山延暦寺で法要が営まれたというニュースが目に留まった。
法要には織田信長の子孫と明智光秀の祖先が招かれたという、粋な計らいの一大イベントであったようだ。なんでこういった法要になったのか。
今年は、延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄師の1200回忌にあたることもあって、最澄師の教えでもある『怨みをもって怨みに報ぜば怨み止まず、徳をもって怨みに報ぜば怨み即ち尽く』を引用し、かつての怨敵同士の織田子孫、明智子孫を同席させて、「怨」を葬り「親」を生み出そうということでもあったようだ。
いまひとつは、現在も世界中至るところで起きている、怨みが怨みを呼ぶ民族紛争を早く終結させたい。そんな思いを込めて、法要導師を務めた延暦寺の水尾寂芳執行がこの言葉を述べられたということであった。
「怨親(おんしん)平等」とは、怨敵も親しみある者も平等にみなければならないという、仏教の根本精神「大慈悲」を説いたものである。つまり、憎い敵だからといって憎むばかりではいけない。逆に親しい者だからといって特に執着すべきではない。どちらをも平等にいつくしみ憐れむべきである。という教えだとのこと。
仏教にも神道にも精通していないグータラ男が、「織田子孫と明智子孫が同席法要」という見出しに惹かれて、新聞報道の受け売りを記したまでのことである。