久しぶりに自分の名刺なるものを作った。別に新たな仕事を始めたり、新たな役職についたりしたというような大げさなものではない。
今まで長い間続けてきた事柄なのに、自らを端的に相手に知らしめる行為を、少しおろそかにしてきたのではないか、という後ろめたさを感じていたり、実際に少し古びてきていたのを更新したというの正直なところか。
初対面の人に「取り敢えず私はこういう者です」と、自分を認識してもらうには誠に重宝な一枚の紙切れであり、仕事の成果を上げる効果的な慣習であると思っている。自分が年を重ねて来たという少しの不安みたいなものを、払拭する効果もある新しい名刺ではある。
遠く振り返ると、我が生涯にはいったい何枚の名刺が活動し、どのように使い分けて生きて来たのだろか考えてしまうう。生涯に使った全ての種類の名刺を1枚だけでいいから残しておきたかったね~。
会社のロゴマーク入りの名刺だけでも、何枚か変わっていった。一番最初に手にしたのは、作業ヘルメットに1本の青い線が入れられた時だった。また本社勤務の間は、同じ会社のロゴ入りながら、まるで特殊の肩書の入った名刺を持たされた。「こんな大層な名刺を振りかざしてええんじゃろうか」と思いつつ、印刷会社大手の大日本印刷・凸版印刷の各工場や共同印刷・東京書籍などを巡った昔もある。まさに名刺を水先案内にして仕事をさせてもらった。
会社に勤めるかたわらで、独自の高価な名刺をオーダーメードして頑張った一時期もあった。
会社を定年退職したら、名刺の数が一気に増えた。趣味の会やボランティア活動の名刺などで友達を増えていった。一時期大いに流行ったご当地検定の実行委員という名刺をひけらかして、受験者を開拓するといった、一見無謀と思えるようなことも、その道の達人的な友に誘われて積極的取り組んだ。そこには定年後の憂き目や手持無沙汰など一切感じるヒマもなく走り回った。
趣味と実益の一石二鳥で楽しませてもらったタウンリポーターは忘れ得ない楽しさをくれた。新聞社の名前が入った名刺を出すと、こちらの実力以上に相手が反応してくれて、取材活動の大きな手助けになった。手慣れた感じで気安く差し出す名刺。名前を刺す鋭さを持っている。大切に使いたいものだ。