「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「終活!」

2023年01月21日 | つれづれ噺

                                                              
                         終活 イメージイラスト

90才を迎える義兄が手掛ける終活。そのほんの一部分を手助けした今日、作業を終えた後で色んな思いが胸の中を頭の中を駆け巡る。
生まれてこの方90年、雪深い山間の小さな集落で、貧のどん底も繁栄の絶頂もあじわい、山も谷も川のせせらぎも全てを受け入れつつ、集落の中心人物として村人と共に生きて来た義兄。
同郷の素敵なお嬢さんと夫婦になり、照る日曇る日人生山河をものともせず、故郷を護る役場勤めのかたわらで、両親を助ける田舎の雑貨屋さんを、絵に描いたような働き者の嫁さんと繁盛させて来た。授かった二人の男の子も、親となり孫の顔を見せて喜ばせてはいるが、それぞれ親元を遠く離れた都会暮らしである。

そんな夫婦も家庭も、世の移ろい時の流れと共に大きく様変わりした。少子高齢化は急ピッチに進み、住民の田舎から街中への移動も重なって、繁華だった集落も一気に過疎化してしまった。誰の手でも止めることの出来ない「世の流れ」である。気が付けば、あれほどの働き者だった嫁さんは病気が襲い施設でお世話になっている。限界集落に近い過疎の田舎で、高齢の義兄一人が暮らすにはあまりにもきつい条件ばかり。ついに生まれ育った故郷を置いて、街中の介護施設にお世話になって数年になる。止むを得ず、涙を飲んで終活に励んでいる。残される子供たちに負の遺産を残さないという信念が見える。

子どもたちとの話し合いの中で、家財や年代物の大半は処分してきた。「取り敢えずこれは残しておこう」「処分するのはちょっと考えてみたい」などと、第一段階での処分に踏み切れなかった、押し入れの奥の物、書庫に重ねてあった物、などなどを時間の経過と共にやはり不必要だと思うようになった物の搬出、処分のお手伝いであった。
いよいよこれで、自分たちが生きてきた分身がこの家から無くなっていく。つまり家という形骸だけが残される。その空しさ、やりきれなさは如何ばかりか。自分がまだ終活に対して本気になれないだけに、義兄の複雑な思いが胸に染み込む。

「今日はあんた達が送り迎えしてくれたので、昼ご飯にイッパイ呑める」と、作業を終えて帰りのレストランでビールを美味しそうに呑んでいた。もっともっとお手伝い出来ればいいが、残された時間もそう長くはない。何もかもやりきった義兄夫婦の終活を最後まで温かく見守っていくのが、私たち義弟夫婦に残された使命と心得よう。明日は我が身だもの。

コメント (4)
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