ここ数日絶好のお花見日和が続いて、それに呼応するように満開の桜が気持ちを軽くさせてくれる「さくら効果」を振りまいている。
健気にも一斉に花開き、その美しさを競うように満開を迎え、そぞろ吹く風に散らされまいと必死にこずえにとどまっている姿には、何があっても気鬱でも、一瞬忘れさせる「徳」を持った「さくら」である。色んな意味で日本人の心根とどこか似通うところがある。何より陽気にさせてくれるのがいい。
そんな桜花に見とれすぎて。上を見ることが多く足元に咲く可憐な花に目を向けない自分がいるのに気づかされる。
隣の空き地の雑草の中に、一群のイトスイセンが特有の芳香を放ちながら見事な黄色をアピールしている。「桜だけが花じゃないんだよ、アタシだって・・・」と強烈な自己主張をしているように見える。確かにそうだね、雑草と一緒に草刈り機の刃で刈り取られてもまたこうして目を出し花を咲かせる。桜と時期が同じという一つの不幸があるんだねー。
世の中にはイトスイセンの生涯を生きる人は数知れずいるのだろう。みんながみんな桜のような艶やかさで、さっと咲いてさっと散っていくばかりの短命花期ばかりでも世の中は回らない。
ほかにもこの季節に咲く花は限りがないほどの多種多様。モクレンもいい、コブシもいい。
この季節に開く花々の命にあやかって、何かの足跡を残す生き方も悪くはないと思う。が、強靭な足腰も粘り強い思考力もとうに峠は越していると感じながらも尚、可能な限りなどと思い直したりするのは、やはり春、花咲き誇る春、という命の息吹を感じさせられるからなのかもね。春ってやっぱりいいね~。