我が住む小さな団地でも今年に入って相次いで3軒もの家庭で、大黒柱が急逝するという事象が発生した。
いずれもコロナ禍最中のご不幸であり、葬儀・告別式も内々のごく限られた親族で送り出されたようだ。そのため自治会長にも自治会の班長にさえも一切告げずに全て事が運んだあとで、口コミで耳に入ってくることもある。今年亡くなられた3軒のうち、1軒だけはカミさんの同級生の旦那さんというつながりがあったからリアルタイムで耳に入って来た。
他の2軒については「エッ?亡くなられたの?いつ?」などと寝耳に水のような話が、当たり前のようにこの狭い自治会の中でも横行している。
もっとも、ご当家にとっては他人のお世話になるのは迷惑だ、という話も理解できないことはない。ただ、向こう三軒両隣といわれるご近所くらいには何らかの情報を流したうえで「当家ではかくかくしかじかなのでご焼香・ご香典はお断りします」とかの意思表示をはっきりさせるのは、最低限の常識ではないか、などと考える私は古い人間なのでしょうかねー。
救急車が呼ばれて事情を訊いたところ「骨折の搬送先を探している」ということで2時間ばかり右往左往心配した。その後救急車が出発して「行き先が見つかってよかったね」などと話した舌の根の乾かぬうちに、搬送先の病院で間もなく亡くなられたようだった。それでも自治会長への連絡もなければ一切内密に事が運ばれ、亡くなったことを知ったのは49日法要の直前だった、などという話がまかり通ると、自治会活動とか、ご近所ささえ合い、などという活動がまるで体をなさないことになる。民生委員さんの立場もやり切れないねーなどと気を遣うのは、やっぱり古い人間なのでしょうねー。
私はこの団地に住んで10数年で母を見送った。その時この団地からも多くのお見送りもご香典も頂いた。当然ながらお返しの義務を背負っていると考えるのが私の常識。頂いたご家庭の不幸を見過ごすのは、不義理という大きな負い目を持つことになる。これも「アンタの考え古いよ」と言う話になるのだろうか。誰を責めるわけでもない、コロナ禍事情を考えると当然なことにも思えるが、そういったつながり無視の風潮が、コロナ後も定着しそうで、余りいい気分にはなれないねー。