「霜降」 イメージ(ネット拝借)
今日は早くも霜が降りる季節を示す、二十四節季のひとつ「霜降」であると、天気予報のアナウンスで知った。
自分にとって格別な二十四節季には興味を示すが、それ以外あまりシビアには考えないのがこれまでの生き方であった。それが今日の場合、今日が霜降であると聞いてちょっとびっくり。同時にがっくりうなだれている。
今年はお彼岸を過ぎても異常な暑さが続いた。例年と異なって、冬野菜の植付けが少しは遅くなっても大丈夫だろうとたかをくくっていた。
そしたら、思いのほか帯状疱疹の回復が遅れ、季節は動いても畑に立つ気持ちになれないまま、俯き加減で過ごしていた。やっとのこと二日前から例年通り多彩な野菜のタネを蒔いた。当然ながら鍬を振るって畑づくりにも精を出した。早い話が、冬野菜の種蒔きが終わったと思ったら季節はもう霜が降り始める霜降を示していた。遅きに弑した、ウ~ン残念と言う思いである。
もともと9月の初っ端から崩れた体調の回復が長引くのにつれて、「今年はもう手作り野菜はあきらめようね」などと何度も言いあってきたのに。少し、ほんの少しでも背筋を伸ばせるようになり、胸を張れるようになると、やっぱり何かしたくなる。生産活動をしたくなる。ついつい張り切ってあれもこれも植えてみたくなる。貧乏性は生涯ついて回るんだね~と自分で笑ってしまう。
でも植え終えて軽い汗を拭き、仕上げの手を洗う時は「芽を出してくれよ、できれば大きく育ってくれよ」などと、植える時期が完全に狂っていても願ってしまう。霜降の今日はもう、新たに出た芽が霜にやられないようフォローしてやる季節なのだと分かっていても、つい祈ってしまう悲しい性よ。
しゃーない、今年の新芽への期待はあきらめて、と言いつついつまでたっても芽の出ない畑の周りをウロウロするかもしれないね~。