10月10日、以前は間違いなくこの日は「体育の日」で国民祝日であった。
この頃は、変動相場制に移行したために、10月第2月曜日が体育の日に変わった。従って、10月8日から14日の間で、毎年ずれることになってややこしい。
他でもないが、我が家の長男が10月10日生まれ。その昔の体育の日であったから、誕生日を忘れることはなかった。
でもまあ、二人しかいない子供の誕生日を、祝日でなくなったからといって忘れるわけでもない。ただ、公務員や企業のご都合主義で、連休が発生した方がいいだろうという安直な考えばかりが優先されるのは如何なモノか?とちょっとだけひねくれてみる。
そんなことより、セガレも、内容はともかくとして、大人の仲間入りをしているのだなーと思うとホンの少し感慨めいたものを感じる。
100歳からみれば、高齢者の仲間入りをした年になっても子供であることに違いはない。それからいくと、33歳はまだまだ頼りなく思うのも無理はない。
結婚して5年、そこそこの生活をしているので安心と言えば安心。0,000秒を争うカーレースのとりこから脱却しただけでも儲け物ではある。
四六時中一緒にいるわけではないので、多くは語れない。が、たまに親元に帰ってきたときの様子を見ていて思うのは、何かしら迫力に欠けるなー…いつまでたっても子供っぽいなー…と、要らぬお世話ながら一言二言言ってみたくなる。しかし、“それを言っちゃーおしまいよ…”にならないためにも、言いたい言葉をグッと飲み込む。
お母さん、あれだけはちゃんと言って聞かせなさいよ…とカミサンに任せて逃げを打つ。でも、親父の一言はカチンときても、母親のやんわりには意外な効果があることを、お父さんは知っている。自分がかつてそうであったように。
所詮、親父は親父、母親の存在価値には遠く及ばないことを思い知らされる。
返信が来ないことを知っていながら「ハッピーバースデー」のメールを打ってみるんよねー。
そして ♪♪ 俺でよきゃー 聞いてやる いつでも・どこでも・なんでも……♪と歌ったりして…。 昨夜は遅くまで宴会だったので、一日遅れのハッピーバースデーとなった。これでは言うことなど聞いてくれるわけがないよねー。
この頃は、変動相場制に移行したために、10月第2月曜日が体育の日に変わった。従って、10月8日から14日の間で、毎年ずれることになってややこしい。
他でもないが、我が家の長男が10月10日生まれ。その昔の体育の日であったから、誕生日を忘れることはなかった。
でもまあ、二人しかいない子供の誕生日を、祝日でなくなったからといって忘れるわけでもない。ただ、公務員や企業のご都合主義で、連休が発生した方がいいだろうという安直な考えばかりが優先されるのは如何なモノか?とちょっとだけひねくれてみる。
そんなことより、セガレも、内容はともかくとして、大人の仲間入りをしているのだなーと思うとホンの少し感慨めいたものを感じる。
100歳からみれば、高齢者の仲間入りをした年になっても子供であることに違いはない。それからいくと、33歳はまだまだ頼りなく思うのも無理はない。
結婚して5年、そこそこの生活をしているので安心と言えば安心。0,000秒を争うカーレースのとりこから脱却しただけでも儲け物ではある。
四六時中一緒にいるわけではないので、多くは語れない。が、たまに親元に帰ってきたときの様子を見ていて思うのは、何かしら迫力に欠けるなー…いつまでたっても子供っぽいなー…と、要らぬお世話ながら一言二言言ってみたくなる。しかし、“それを言っちゃーおしまいよ…”にならないためにも、言いたい言葉をグッと飲み込む。
お母さん、あれだけはちゃんと言って聞かせなさいよ…とカミサンに任せて逃げを打つ。でも、親父の一言はカチンときても、母親のやんわりには意外な効果があることを、お父さんは知っている。自分がかつてそうであったように。
所詮、親父は親父、母親の存在価値には遠く及ばないことを思い知らされる。
返信が来ないことを知っていながら「ハッピーバースデー」のメールを打ってみるんよねー。
そして ♪♪ 俺でよきゃー 聞いてやる いつでも・どこでも・なんでも……♪と歌ったりして…。 昨夜は遅くまで宴会だったので、一日遅れのハッピーバースデーとなった。これでは言うことなど聞いてくれるわけがないよねー。
笑った、笑ったと喜び、寝返りしだし、お座りするようになって、ほふく前進みたいに動きだし…、やっと立ち上がりだします。
どれだけカメラを向け、手塩にかけて日々楽しんできたことでしょう。
健康で明るい笑顔で、日々の成長とともにそこにいてくれればいい存在でしたね。
同じですよね。
子の成長が私の社会への接点でもありました。○○ちゃんのお母さんということから交友関係が広がりだしたような。
外から帰宅して「ただいま」に続く言葉は、
「おばあちゃん、お母さんは?」
「おかあさ~~ん?」(これは娘かな)
「おかあさーん!」(これ息子)
母親冥利に尽きますね。
大きくなりました。立場はもう逆転、何のかんのと言ってみても、案じてもらう身になっています。
「何かしら迫力に欠けるなー」???、そのように見える大切な息子さんは、きっと
「おやじー、元気で長生きしろよ」とお思いでしょう。
おわかりののくせに。
だからこそ一日遅れでもハッピーバースデーのメール。
数日遅れでもわが子は返信してきます。感謝の言葉を添えて。これって母親冥利ではないですよね?
それはそれはおめでとう。幾つになってもHappyBirthdayに変わりはないね。
子供は幾つになってもやはり気に掛かるものですよねー。
這えば立て、立てば歩めの……そして間違いなく社会との接点でしたね。幼稚園あたりから急に世界が広くなって行きました。
2人の子供を通して知り合った多くの友と、今でも、当時以上のお付き合いをさせてもらったりしています。
でもやはり、子供が頼りにするのは母親の優しさですね。これに勝る母親冥利はないですよ。
その分、母親は身体を張って命を分け与えているわけですから。
まあ、大過なく過ごしてくれるのが最大の親孝行と認めましょう。