非常勤で働く今の職場で、メンバーの入れ替えなどがあり懇親会を開くことになった。場所は、潮の干満時には急流渦を巻く大畠の瀬戸を挟んで、瀬戸内海に浮かぶ周防大島町。潮風に身を任せる露天風呂から、行き交う船影や海面を黄金色に染める夕日の眺めは、癒し効果満点の観光スポットである。もちろん宿泊可能。
子供の頃は日本国有鉄道(今のJR)が本州の大畠と対岸の小松を結ぶ大島連絡船が唯一の交通手段であった。
全長1020mに及ぶ大島大橋が開通したのが1976年(昭和51年)、あれから32年になる。当初有料だったが1996年(平成8年)に無料化され、その後多くの観光客を迎え入れている。
あまりにも身近な場所とは違って、電車や送迎用のクルマなどを利用して、少し遠出をした気分になるだけで、普段はなかなか掴みにくい個人の素顔が見られたり、マイクを持つと異常に張り切る本音の姿が見えたりして実に楽しい。これもちょっとした開放感による癒し効果なのだろうか。
定年退職者と現役の人たちを比べると、年齢的には遙かにしのぐ退職者の元気の良さが目立つと言われている。今の企業を取り巻く環境、その中で効率的生産性を求められる現役の人たちも大変なことはよく分かる。
しかし、定年退職者はそれら「いばらの道」を踏まなかったわけではない。みんな乗り越えて来たのだと思う。
自分の殻に閉じこもるばかりでなく、ちょっと足を伸ばして開放感に浸れるスポットを自ら見つけて、ゆったり流れる時間を明日の肥やしにしながら、現役生活を謳歌して欲しいなーなんて勝手なことを、瀬戸の沈む夕日を見ながら考えてみた。
また何かの理由を見つけてメンバーで騒ごうや。年など忘れて。
オットット、年を忘れなければならないのは自分だけかも……。
(写真:大畠の山に隠れる夕日が瀬戸の急流にまばゆい)
子供の頃は日本国有鉄道(今のJR)が本州の大畠と対岸の小松を結ぶ大島連絡船が唯一の交通手段であった。
全長1020mに及ぶ大島大橋が開通したのが1976年(昭和51年)、あれから32年になる。当初有料だったが1996年(平成8年)に無料化され、その後多くの観光客を迎え入れている。
あまりにも身近な場所とは違って、電車や送迎用のクルマなどを利用して、少し遠出をした気分になるだけで、普段はなかなか掴みにくい個人の素顔が見られたり、マイクを持つと異常に張り切る本音の姿が見えたりして実に楽しい。これもちょっとした開放感による癒し効果なのだろうか。
定年退職者と現役の人たちを比べると、年齢的には遙かにしのぐ退職者の元気の良さが目立つと言われている。今の企業を取り巻く環境、その中で効率的生産性を求められる現役の人たちも大変なことはよく分かる。
しかし、定年退職者はそれら「いばらの道」を踏まなかったわけではない。みんな乗り越えて来たのだと思う。
自分の殻に閉じこもるばかりでなく、ちょっと足を伸ばして開放感に浸れるスポットを自ら見つけて、ゆったり流れる時間を明日の肥やしにしながら、現役生活を謳歌して欲しいなーなんて勝手なことを、瀬戸の沈む夕日を見ながら考えてみた。
また何かの理由を見つけてメンバーで騒ごうや。年など忘れて。
オットット、年を忘れなければならないのは自分だけかも……。
(写真:大畠の山に隠れる夕日が瀬戸の急流にまばゆい)
美味しいお魚も出ましたか。
羨ましいです。
魚もビールも美味しかったです。
気の置けない者同士、二次会のマイクにヒマを与えない雰囲気は更に美味しかったでーす。