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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「村の鎮守様」

2015年11月01日 | つれづれ噺

      

夫婦そろってあまり体調のかんばしくない、義兄夫婦の見舞いかたがたカミサンの里を訪れた。
途中で思い出したように「11月1日は里の祭りじゃった」という。
それならお酒の一本も提げて行けばよかったのにと思ったが、時すでに遅し。もう酒屋など全くない田舎道を走っていた。
まるっきり手ぶらでもないので、お酒はないまま里に着いた。

例の梅もぎに行くあの里である。
かつては鉱山産業や林業などで栄え、お正月や秋のお祭りなどには、芝居一座がやってきたり、出店もあって賑わったという。
今やその面影はなく、住む人のいなくなった空き家が目立ち、独居高齢者がちらほらという集落となってしまった。
ここ数年、お祭りらしき行事も途絶え、お祭りを目当てに里帰りする子や孫の姿も見られない。

遠くから出向いて来られたのであろう神主さんが「そろそろ始めましょうか」と声をかけて、祝詞の奏上が始まった。
見守るの人はたったの4人。玉ぐし奉てんもあっという間に終わる。
部外者がその輪に入るわけにもいかず、わずかなお賽銭をチャリンと鳴らして投げ入れ、柏手を打つだけ。
ただそのとき、拝殿の上がり口に、ピンクや黄色の子供の靴が揃えてあった。
ひょっとすると、お祭り当番に当たった人が、無理に頼んで孫たちに里帰りさせたものかな。

そういえば若いころ、盆踊りの時季に里帰りした折、この鎮守様の境内で、「これ見よがし」に派手な手振りで盆踊りの輪を盛り上げた若気の至りを思い出した。今はもちろん、盆踊りも何もない。
当時は、お宮の前には旅館があり、仕出屋も兼ねていてずいぶん羽振りよく見えた時代でもある。
まさにあれから40年。お祭りはおろか、ひっそり静まり返るだけ。
それにしては、お祭りの幟旗をよくぞ建てたものである。祭り行事まではできなくとも、せめてもの心意気で建てたのであろう。

時まさに晩秋。里帰りをするたびに、夏であろうが正月であろうが、うら侘しい晩秋を感じさせられる。
6歳の孫優雅君は、「ハヤ釣りに行こう」というとすっ飛んでついてくるが、やがてその楽しい遊びさえも出来なくなりそう。
誰が悪いとかの問題ではない気がする。中流階級になれた私たちが、多くの子供を作らないこと、核家族が当たり前になったっこと。
そのほかにも理由はあるのだろうが、かつての賑わいの最後の頃を少し知っているだけに、なんかしらはがゆい思いは残る。

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2 コメント

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村の鎮守 (takeko)
2015-11-03 01:19:31
の神様が…という歌があったよねー最初だけ覚えているようないないような????10年一昔と言われてたけどねー。やれ、やれ切ない思いがするね。
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takeko さん (yattaro-)
2015-11-03 21:35:31
子供の頃には、どこの村にも鎮守様があって、年に何度かお祭りがあって・・・。
楽しい思い出がいっぱい。
でも今の子どもたちはそういった思い出は少ないようです。
祭りなどよりほかに色んなことがあるからね。
返信する

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