隣の空き地に、大小10本の梅の木が一斉に満開。
あれから14年。未曽有の大惨事となった東日本大震災。死者行方不明者合わせて22200人超。それ以外の負傷者や避難生活を余儀なくされている人たちの苦難や如何ばかりか。常人では想像も及ばない被害の大きさである。発生が午後2時46分という、昼間の地震発生にもかかわらず、逃げることのできない速さで襲い来る大津波。復興もいまだ完全でないことに苛立ちも覚えるが、自然というとてつもない破壊力の前には、人間の営みがなかなか追いつかないのかもしれないが、一日でも早い復旧復興が待たれる。ただただ犠牲者のご冥福をお祈りするしかない、発生から14年を経た今日の思いである。
そして、日本列島を襲うと予測される「南海トラフ地震・津波」も不気味さを帯びてきている。地震の規模も津波の高さも、予測できないところに不安は募る。たとえ瀬戸内海とはいえ海岸線に面した地域に住むものにとっての心配は尽きない、というのが現状であるにも関わらず、私自身を始めとしてどこまでの危機感を共有しているか、疑問である。どうしても「今までそんな津波実績もないし」などと甘い方へ流れてしまう。
自治会においてもごく簡単なハザードマップがあったり、災害発生時の対策フローチャートとか、緊急連絡網などと、色んなお題目は並べられているが、実際にどれほどの効き目があるのか、だれがどのような指令を出すのか、いずれも素人集団である。とはいえ、自分の命を守ること、大切な人の命を守ることにどれほど真剣であるかが、いざ一大事の発生時に真価を発揮する。やはり頼りとするのは自分自身であり自己責任であると腹をくくっておくのがいいのかも。
あれから14年が過ぎた3月11日ではあるが、数年前から育ててきた隣のの空き地の梅の木も、今や大小合わせて10本が根付いている。しかも4種類の木が混ざり合ってしっかり花をつけている。
人々の悲しみとは別のところで、季節を感じ、時の流れに沿って花は咲く。それに伴って梅にはメジロ・ヒヨなど小鳥は蜜を吸いに来る。世の営みとはこれが本来の姿なのか。とすれば、どんな苦しさの中にも、ちょっと目線を上げて季節に咲く花を愛でる気持ちは忘れないようにしようということか。春はすぐそこに。
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