「錦帯橋を世界文化遺産にする署名協力のお願い」という回覧板が回ってきた。
世界文化遺産登録には、先ず我が国の暫定リストに登録される必要がある。厳選が予想される難関をクリアーするには、市民皆様の熱意の表意として多くの署名を募り文化庁等関係先に提出必要があり…云々
我ら岩国市民の誇りであり、歴史の証でもある錦帯橋を世界文化遺産に登録申請することに賛成の一人である。
まさに営々と引き継がれてきた錦帯橋建築の技術は、郷土が世界に誇る偉大な木造建築の芸術であるとさえ思っている。
もちろん署名もするし協力もする。
しかしそれは、諸手を上げてというほどでもなければ、万難を排してでもという強い気持ちの裏付けがあるわけではない。
それは、現在の錦帯橋周辺の実情や、遠来の観光客の生の声に耳を傾ける時、いつも大きな反省と失望が頭をよぎるからである。
具体的に言うなら、あの天下の名橋錦帯橋の両方のたもとが、重要な生活道路として活用されており、観光客がおちおち歩行できない現状である。
観光地にはおみやげ物屋さんは付きものである。そのおみやげを買おうとすれば、ひっきりなしに通行するバス・タクシー・トラック・乗用車など全てのクルマを避けて、まるで交通ジャングルを生き延びるような危険と隣り合わせ。
責めて、錦帯橋たもとくらいは歩行者天国にして観光客の歩行をゆるめて上げる。そうしてお土産を買う人売る人の活気を取り戻す。横山側はゆったりと吉香公園につながる広がり。このように、一連の錦帯橋周遊コースを確率した上で、文化遺産登録を考えてもいいのではないか。今の条件で本当に市民の熱意が文化庁に届くのか疑問を持つ。
岩国で生まれ岩国で育ち、錦帯橋を誇りと自慢のタネにして来た生粋の岩国人の、錦帯橋を大切に思うが故の老婆心である。
錦帯橋に箔が付いたり名誉が与えられるなら、これに越したことはない。
ついでに観光客の不満や陰口が取り除かれたときこそ、本当の世界文化遺産の値打ちが出てくるのであろう。
(写真:錦帯橋平成の架け替え。2004年1月撮影)
世界文化遺産登録には、先ず我が国の暫定リストに登録される必要がある。厳選が予想される難関をクリアーするには、市民皆様の熱意の表意として多くの署名を募り文化庁等関係先に提出必要があり…云々
我ら岩国市民の誇りであり、歴史の証でもある錦帯橋を世界文化遺産に登録申請することに賛成の一人である。
まさに営々と引き継がれてきた錦帯橋建築の技術は、郷土が世界に誇る偉大な木造建築の芸術であるとさえ思っている。
もちろん署名もするし協力もする。
しかしそれは、諸手を上げてというほどでもなければ、万難を排してでもという強い気持ちの裏付けがあるわけではない。
それは、現在の錦帯橋周辺の実情や、遠来の観光客の生の声に耳を傾ける時、いつも大きな反省と失望が頭をよぎるからである。
具体的に言うなら、あの天下の名橋錦帯橋の両方のたもとが、重要な生活道路として活用されており、観光客がおちおち歩行できない現状である。
観光地にはおみやげ物屋さんは付きものである。そのおみやげを買おうとすれば、ひっきりなしに通行するバス・タクシー・トラック・乗用車など全てのクルマを避けて、まるで交通ジャングルを生き延びるような危険と隣り合わせ。
責めて、錦帯橋たもとくらいは歩行者天国にして観光客の歩行をゆるめて上げる。そうしてお土産を買う人売る人の活気を取り戻す。横山側はゆったりと吉香公園につながる広がり。このように、一連の錦帯橋周遊コースを確率した上で、文化遺産登録を考えてもいいのではないか。今の条件で本当に市民の熱意が文化庁に届くのか疑問を持つ。
岩国で生まれ岩国で育ち、錦帯橋を誇りと自慢のタネにして来た生粋の岩国人の、錦帯橋を大切に思うが故の老婆心である。
錦帯橋に箔が付いたり名誉が与えられるなら、これに越したことはない。
ついでに観光客の不満や陰口が取り除かれたときこそ、本当の世界文化遺産の値打ちが出てくるのであろう。
(写真:錦帯橋平成の架け替え。2004年1月撮影)
特に私は、小さい頃から、西岩国にいたことと、なにせ親父が、昭和の架け替えの時の棟梁だった関係から家には、あの時部屋中に錦帯橋の図面だらけだったのを思い出します。
賛成なんですが、いまひとつ あなたの書いているとおり周辺のことが、どうも気になりますね。
まぁ、この文化遺産というものは、自然遺産と違うと思うと仕方のないことかもしれません。
ふと、屋久島の人が、観光客の増加に、汚すのならもう来ないでください! と言ってたのを思い出した。
それを守るのは、大変なことですから・・・
でも今のままでは、世界遺産には登録されないだろうし、もっともっと条件整備した後で手を上げてひしいねー。
盛会で何よりでした。いが餅もおいしく頂きました。すっかり、古くからの会員に見えましたが、いかがでしたか。又お話聞かせてください。
私が何をしたわけではありませんが、まずまずの参加者で、そこそこの盛会だったようです。
会長さんはじめ皆さんお喜びの様子でした。そして保田会長さんからは、沖さんにくれぐれもよろしくとの伝言もいただきました。改めてお邪魔します。