1月17日。 阪神淡路大震災から14年の歳月が流れた。
当時3歳だった子が、17歳高校3年生である。被災した彼や彼女は元気に高校生活を送っているのだろうか。 進学を目指す諸君は、今日から始まった大学入試センター試験を、迎え撃っているのだろうか。
14年前のこの日、単身赴任で東京・世田谷区・太子堂にある会社の寮で最初のニュースを目にした。
その瞬間、一瞬ではあるが目眩をおぼえたことを今でもはっきり記憶している。
テレビ画面一杯に、濛々と立ち上る煙・炎。それもあちこち複数箇所で。
その時、ふと脳裏をかすめたのは、終戦間近のB29爆撃機による焼夷弾炸裂の悲惨な状況である。
3歳7ヶ月そこそこで終戦を迎えたこの身に、実際の焼夷弾の怖さが記憶にあるわけではないと思う。が、誰かに千切れそうなほど手を引っ張られて必死に逃げる時に出来た、足のみみず腫れの感触は、遠い記憶の中に今でも残っている。
その再現かと思わせる光景であったが、それは、人為的なことではなくて、天災であることに、不謹慎ながらある意味安堵の胸をなで下ろした記憶は新しい。
多くの犠牲者と、計り知れない損失に見舞われた大震災。 これらの貴重な体験を決して無駄にしてはならない。
先ずもって、人の命の尊さを改めて思い起こしたい。学校や体育館など大勢人の集まる場所の耐震強化などは、待ったなしのはずなのに、あの忌まわしい体験から14年たった今も、地方小都市などは財政逼迫で、具体的な対応が追いついていないのが現状である。
日本人の英知と限りない底力で、震災の爪痕から確かな復興を見せていることは実に心強い。そして毎年訪れる1月17日を、単なる記念式典や追悼式だけに終わらせず、天災は忘れた頃にやってくることを肝に銘じて、“命”を守る具体的な施策を実施して欲しいなと願っている。
( 写真:テレビに映し出された、追悼式・“命”のお灯明 )
当時3歳だった子が、17歳高校3年生である。被災した彼や彼女は元気に高校生活を送っているのだろうか。 進学を目指す諸君は、今日から始まった大学入試センター試験を、迎え撃っているのだろうか。
14年前のこの日、単身赴任で東京・世田谷区・太子堂にある会社の寮で最初のニュースを目にした。
その瞬間、一瞬ではあるが目眩をおぼえたことを今でもはっきり記憶している。
テレビ画面一杯に、濛々と立ち上る煙・炎。それもあちこち複数箇所で。
その時、ふと脳裏をかすめたのは、終戦間近のB29爆撃機による焼夷弾炸裂の悲惨な状況である。
3歳7ヶ月そこそこで終戦を迎えたこの身に、実際の焼夷弾の怖さが記憶にあるわけではないと思う。が、誰かに千切れそうなほど手を引っ張られて必死に逃げる時に出来た、足のみみず腫れの感触は、遠い記憶の中に今でも残っている。
その再現かと思わせる光景であったが、それは、人為的なことではなくて、天災であることに、不謹慎ながらある意味安堵の胸をなで下ろした記憶は新しい。
多くの犠牲者と、計り知れない損失に見舞われた大震災。 これらの貴重な体験を決して無駄にしてはならない。
先ずもって、人の命の尊さを改めて思い起こしたい。学校や体育館など大勢人の集まる場所の耐震強化などは、待ったなしのはずなのに、あの忌まわしい体験から14年たった今も、地方小都市などは財政逼迫で、具体的な対応が追いついていないのが現状である。
日本人の英知と限りない底力で、震災の爪痕から確かな復興を見せていることは実に心強い。そして毎年訪れる1月17日を、単なる記念式典や追悼式だけに終わらせず、天災は忘れた頃にやってくることを肝に銘じて、“命”を守る具体的な施策を実施して欲しいなと願っている。
( 写真:テレビに映し出された、追悼式・“命”のお灯明 )
転んでからでは遅いのに、、
考えなければいけませんね
すると、出ません。
「心配しているだろうと思って」と、数日後に電話がありました。
玄関のドアが曲がって開かず、食器棚は倒れ・・・と、被害の状況を聞きました。
ただただ、無事で良かったと思いました。
が、被災者の悲しみと苦悩は決して癒えることはありませんね。特に一人暮らしの方たちです。老齢化が進み不自由な身体で孤独に暮らしておられる方たち。テレビの映像を見て、14年たって益々辛い思いをしている方がいらっしゃるのを知りました。
涙を流して祈るのを見ながら、これからもいつか襲うであろう災害への防災とその後の対応の仕方に生かしていかなくてはと改めて思ったところです。
ただ一つ、何があっても、最終的には、ちょっと小高いところにある娘の家に集合すること。それだけは決めています。
幸い、この地方には今までのところ、大地震は記憶にないですが、忘れた頃にやってくるのが天災ですから、ささやかな準備から出がけておきたいですね。
地震や火山噴火などは、避けて通れない日本なのですから、常に臨戦態勢の準備をお願いした物ですね。
特に学校耐震化については、基地問題で揺れる岩国が、防衛予算の大きな使い道として、いち早く取り組み、全国の模範都市になるよう、市長さんに直言したこともあります。
あの時、若者のボランティアグループが活躍しました。以後、災害ボランティアの光景をよく見るようになっていきましたね。
若者が、他人や社会に対して決して無関心ばかりではないということを知ったわけです。
人間の温かさを信じたい気持ちでいっぱいです。
災害など起きないに越したことないのですが、どのような形で襲われるか。
身を守るためには何といっても日常の意識づけ…、それが…です。思いを新たにせねばなりません。
まさにその通りですね。分かっちゃいいるけど……。
今、この立場ならどんなボランティアでも可能な気がします。
社会に決して無関心ではないのですが、今のところ、社会がこの手を要求してきません。来ればねー…。
keiさんなどは、貴重な文化財を守り続けなければならないお立場でしょうから、特に防災意識は敏感なのでは??と勝手に思ってしまいます。
今は、ひたすら笑い転げ、小理屈を上手にフォローして上げることに集中ですね。